幼少時から考え続けてきたことがある。
それは結婚式に誰を呼ぶか、だ。
思い返してみると、その時その時の友人関係の変遷が見られるのでなかなかに面白い。絶対呼ぼうって思っていた子と今では連絡を取っていないことなどザラである。

しかしながら今回の論点はそこではない。私はそれくらい幼少時より結婚を意識していたということだ。それは女の子なら誰もが思い描く、白馬に乗った王子様がやってきて、大きな教会で結婚式をして、披露宴ではたくさんの人に祝福されて、なんてレベルのことではない。「家を継ぐ」その責任を一身に背負ってきたのだ。

先祖代々の土地を守る。そのように洗脳されてきた

そう言うとかっこいいが、それほど大したことではない。先祖が武家や貴族だったわけではないし、特定の家業があるわけでもない。ただ、私の家には今まで13代にも渡り、広範囲な土地を守り抜いてきたという歴史がある。その土地を、家を守らなくてはならない。
「別にそんなこと思う必要はないんじゃない?」と言われることもある。しかしこれは当事者でなければわからない感覚なのだはないだろうか。

だから考えることはいつもこうだ。私の実家の姓を継ぎ、実家に両親と共に住んでくれる、そんな王子様がいつか現れるといいな。その希望は叶えがたいことを大人になるにつれて知った。
まずほとんどの場合、実家に同居することはないということだ、それも嫁の実家などなおさらだ。次に、姓の問題。夫側に名字を変更してもらう、そんな寛容な男性を見つけることは容易いことではない。これが日本社会の実情である。

それでも見つけなくてはならない。結婚し、子供を産み、その子もまた、私と同じような感覚を持てるよう育てなくてはならない。土地を容易に売ってしまおうなんて発想をしないように、家を守らなきゃと意識してもらえるように。
そこで気がついた。私もそのように洗脳をされてきたことを。そして私を縛り続けているこの考えを、私自身が子に踏襲しようとしていることを。

長女としての覚悟。必死に家を守ろうとしている

現に今私は上京しているが、就職を機にUターンを希望している。その洗脳は解けていない。田舎で暮らし、その生活に居心地の良さを見出してしまった私にとって、もう後戻りできるような状態ではないのだ。このような考えを悪のように言う人もいるが、両親に恵まれた私にとっては、アイデンティティそのものになっていたのだ。それに気がついてからは、敢えてこの洗脳を解く必要はないのだと思った。それよりも、女性なのに期待してくれていることに、田舎という土地柄ながら奇跡さえも覚えるようになった。

なぜ親は男の子を生まなかったのか、そう思う時もある。もし生まれていたら、長女であるがゆえの責任感に囚われることはなかったのに。
昔であれば婿養子を取り、その人に養ってもらう、という考えであったのだろう。しかし、私は自分の手で稼ぎ、私の名で継ごうと思っている。そしてそれを両親は了解済みだ。それだけでも男女同権に向けて、一歩踏み出しているのではないかと思う。私は幼い頃から、家族や親戚から愛され、見守られながら育てられきた。その人たちの恩に報いなければならない。それが長女としての覚悟だ。もちろん本当は恐ろしくてたまらない。それでも必死に家を守ろうとしている。まるで戦国の世を生き抜いた人たちかのような心境である。

私にとって結婚は契約。だからあまり乗り気ではない

大層なことを言いつつ、その前に彼氏を作らなくてはならない。その大きな試練からは今も目を瞑り続けている。正直私はあまり男性が得意ではない。この世が女性にとってどれだけ生きづらいか、身をもって私は知っている。
それでも男性のように(男なんだから~という考えは好きではないが)、自分がなんとかしなくてはというプレッシャーとともに生きている。これは、男性と同等な立場になる、つまり男性の敵となるということ。その認識をしているし、そう感じる場面はこれまでも多々あった。
しかしこの頃少々疲れた。私も競争社会とはかけ離れたところで、のんびりとした生活をしたい。ここまできた今、女性としての利点をふんだんに利用した社会ではもはや勝ち目はないことはよくわかっている。

私にとって結婚は契約。だからあまり乗り気ではない。しかしいつか、私の両親がそうしてくれたように、私も愛する子を持ちたい、そう考えている。その子にも重い責任を持たせてしまうことにはなるが。