山形から晴れて上京し、東京で大学生活を送る私。理想と現実は全く異なるもので、キラキラした学生生活とは縁遠い生活を送ってきた。そんな私もあっという間に大学3年生。最近、就職活動を始めた。自分自身に対するイライラのような、モヤモヤのような感情を抱えることが増えた。

大人と話す機会が増えると、今まで自分がどれだけぬるま湯に浸かった大学生活を送っていたのか、実感させられる。相手が話してくれた内容を自分の中で噛み締めて、その話を深めるリアクションや言葉を出そうと努力してたのか!?と会話が終わってから後悔するのだ。そもそも話のネタになる知識もなければ経験もないと気付かされる。

会話のキャッチボールができない

私は3か月前から、報道カメラマンのいる職場でアルバイトをしている。6月に新潟・山形地震が起こった時、職場に突如ホワイトボードが出現していた。そこには、どの被災現場にカメラマンが派遣されているのか、拡大地図上に書かれていた。

「山形出身なんだよね?地震大丈夫だった?」。この地図を見た職員が私に話しかけてくれた。「はい、内陸の方なので実家は大丈夫でした」と答えた。その後に、「ところで飛島に行ったことある?」と地図上の別の場所を指さして聞かれた。飛島とは、山形県の日本海側に位置する離島だ。私はそれに対して、「行ったことないんです……」としか答えられなかった。

デスクに戻ると、さっきまでの会話が頭をぐるぐる回り、何度もリピートした。せっかく投げてくれた会話のボールを、きちんと投げ返せなかったという後悔で、愕然とするしかなかった。
もし、飛島に行ったことがあれば、島民の暮らしや町の様子、飛島まではどうやって行けるのかを話せたのかもしれない。
「一度、行ったことがあって、酒田という港から船が出ているんですが、船酔いして大変でした」や、「宿に泊まった時、島の○○という郷土料理を食べておいしかったです」の一言が話せたら、会話のキャッチボールが続き、きっと楽しい時間になっただろう。

最近始めた就職活動でもそうだ。せっかく憧れの記者さんと会って、たくさん質問が出来るチャンスを、いつも満足するように使えていない。目は星になるくらい、会えて、話せて嬉しいのに、自分の口から出るのは、「へー」や「そうなんですねー」、せいぜい相手の言葉を繰り返すくらいだ。こんなんで本当に記者になれるのだろうか。

1年後はどんな景色を見ているのだろう

しかし、自分にがっかりする一方で、たまに湧いてくる、「大丈夫!記者になれる!」という自信とやる気。だって、記者になりたいんだもの。普通なら会えないような人、行けないような所へ行くことで、自分の丸ごとの人生がときめく予感がするからだ。決していいことばかりではないと思うけれど、そんな嫌なことも含めて人生を豊かにしてくれると思う。そして、将来おばあちゃんになったとき、悩んでいる孫や若い子に、記者としての経験をもとに相談にのってみたいと、ぼんやり思っている。

なぜ記者になりたいと思い続けていられるのかというと、人に会って話すことが、自分をこんなにも変えてくれることを実感したからだ。

この夢が見つかるまで、「もし、今死ぬとしても後悔ないな」という考えを持っていた。死を本気で考えていた訳ではないけれど、大学生になってから割と考えていた。生きがいみたいなものがなかったのだと思う。

しかし、アルバイトや就活を始めてから、人に会う機会が増え、多くの刺激を受けた。自分でも驚くほど、次々と新しいことを始めようとする、いいサイクルができた。このエッセイに申し込んだのもそうだ。

断然、今の方が楽しい

以前の私と今の私、どっちが生きていて楽しいか、断然今だと思えるようになった。だから、就活がつらくても、夢から逃げることはしたくない。今までの生きがいのなかった自分を無駄にしたくない。

就職活動というと、緊張感があってとても大変そうなイメージがあるけれど、こんなに憧れの人と話せる経験は滅多にない。がっかりとやる気の狭間で1年後の自分はどんな景色を見ているのだろう……。こうして文章を綴り、少しずつ自分が成長できれば、うれしい。もしも、夢をもって就活しているけど、不安は絶えないと感じている人がこのページを読んでいたら、少しでもホッとできる場になるといい。

ペンネーム:はっぴ

就職活動を始めたばかりの大学3年女子。記者志望だが、日々悩みは尽きない。キラキラとした大学生活とは縁遠い生活を送ってきた。趣味はクラシックバレエ、腸活、カメラなど。