私は両親に褒められた記憶があまりない。テストで学年1位をとっても、俳句コンテストや英語スピーチコンテストで入賞しても、手放しに喜んで、褒めてくれたことはなかった。いつも返ってくる言葉は「まぁ上には上がいるからね」。 嬉しかったはずの気持ちがこの言葉でどのくらい萎んでしまったのだろう。
私の両親は小学校の教員をしている。両親が私をあまり褒めなかったのは、私よりも優秀な子を見る回数が一般的な親よりも多く、褒める基準も高かったからだと思う。模試の成績も校内順位ではなく、全国順位を見ていた。「上には上がいる」なんて言葉、学校で死ぬほど聞いたからそんなのわかってるよ、お願いだから家では褒めてよ。ひとこと「すごいね」という言葉が欲しかった。
他の子の家庭に比べて褒めてくれないということ以外は、両親に対して不満がなかったから余計にそのことに執着してしまったのかもしれない。
私は両親のことが嫌いなわけでは決してない。むしろ仕事に対して真摯に向き合う姿は尊敬しているし、そんな両親のもとに生まれてよかったなあと思っている。大好きで尊敬しているからこそ、誰よりも褒めてほしくて、認めてほしくて、苦しかった。
先生の子どもとして語られる私
教員の子どもというのは私にとって一種の呪いのようなものだった。私の場合、祖父母も教育関係に従事している、近所では有名な先生の家系だったからさらにタチが悪かったのかもしれない。私がテストで良い点をとっても大人達は「先生の子どもだからね〜」と言うし、友達も「どうせ教えてもらえるんだからズルい」と私に言った。「いや自分で勉強しているんだけど」という反論も誰も聞く耳を持ってくれなかった。
私が飲み込まれてしまうぐらい教員の子どもという肩書きは大きい。学校内にとどまらず、私の住んでいた場所は田舎だったからご近所づきあいにもその肩書きはつきまとった。自分の成果が家の評価に直結する世界。自分がどんな成果をあげても、「みのりちゃんは」ではなく「○○先生のお子さんは〜」と言われる。どんなに頑張っても私は透明だった。誰も私のことを見ているようで見てない、そう思ったこともある。
理想の娘を追い求めて
周りの大人たちにどう見られているのか、親に褒められるにはどうすればいいのかをひたすら考えるうちに、いつしか私は私自身が作り出した「理想の娘」にとらわれるようになってしまった。私がちゃんとすればお父さんとお母さんは「そんな娘さんを持って幸せだ」と周りの人に思われる、「理想の娘、自慢の娘と思われたい」。その一心で私は必死に自分の思う「理想の娘」を演じ続けた。
「理想の娘化計画」は順調だった。近所のコミュニティでは礼儀正しい子だと評判だったし、成績も小さな中学校で学年一位を取り続けられるくらい優秀だった。中学生の時の合唱コンクールでは伴奏者をつとめ、先生から頼りにされていた。反抗期も思い当たる部分はない。自分で言うのもなんだけれど、高校生まで私は絵に描いたような優等生だったと思う。でもそんな計画がいつまでもうまくいく訳がない。
薄暗いキッチンで光る包丁
計画が崩れたのは3年前。大学入試の時。私は第1志望だった大学に落ちてしまう。初めての挫折。3日間泣きわめき、2週間ふさぎ込んだ。そんなことは私の人生の中で初めてだった。
落ちた直後、だれもいない家で昼ご飯を作っている時に包丁を見て、「あぁ、死のうかなあ」と本気で思った。別に誰かに落ちたことをけなされたわけでも非難されたわけでもないのに。もちろん両親も。というかそもそも受かっている大学もあった。別にそんなに悲観的になる必要はなかった。だけどその時の私は、辞めたくても、周りの反応が怖くて「理想の娘」を辞めることはできなかった。それを全うするのが義務だと思っていた。だけど自分の中に作り上げた「理想の娘=完璧な自分」はどんどんハードルがあがり、いつしか自分が必死にあがいても追いつけなくなった。その事実が、今までほぼ完璧だった計画が崩れてしまったことが、死ぬほど嫌だった。
転機となったのは友達の一言だ。
「あなたは完璧主義すぎるんだよ」
「教員の子ども」という呪いをかけていたのは、両親ではなく私自身だったと気づいた。
できることなら、肩の力が抜けた今の私で、時を巻き戻して人生をやり直してみたい、だけどそれが無理なのもわかっている。だからこそ自分が認められるような生き方を、これからしていくんだ。
ちょっとずつ私は生まれ変わる
現在私は親元を離れ、一人暮らしをしている。誰も○○先生の娘として私を見ない。私は教師の娘という肩書きから解放された。今までの人生の中で一番のびのびと生活できていると思う。それこそこんな風に自分の人生をあけすけに語れるくらいには。
今でもたまに、自分が完璧になれないことに落ち込む日もあるけれど。でもそういう時は「昨日よりいいところがあれば良い」と思うようにしている。 ちょっとずつ生まれ変われるのなら素敵じゃないか。
私が求めていたのは他人から見ての虚像でしかなかった、そのイメージはふわっとしたもので「理想像」というよりかは「りそうぞう」って感じ。固まりきってないからこそ不安が常につきまとったのだと思う。今度こそ、”りそうぞう”なんかではなくて”理想像”を目指したい。
バイバイ、過去の私。私は「○○先生の娘」ではなく今の自分のために、そして未来の自分のために生きていくね。