小さいころ、自分は特別な人間だと思っていた。自分中心で世界は回り、日常のちょっとしたことが楽しくて、ワクワクして、ときめいて……。だけど大多数の人は大きくなるとその魔法は解けて日常もキラキラしたものから何の変哲もないもの変わってしまう。自分が特別な人間でないことに気づき、日常に対して特に何も感じずただ時間が過ぎていくようになったのはいつだったんだろうか。

プリンセスに憧れて

私の小さなころの夢はピンクのドレスが似合うオーロラ姫のようなプリンセスだった。その当時私はディズニープリンセスの児童向け雑誌を愛読していた。確かテーマは「プリンセスになりたい女の子たちへ!」。プリンセスになりたい女の子たちの一人だった私は夢中で読み、きれいな立ち方や、ワルツのステップを練習していたような気がする。雑誌に載っているドレスの型紙を見て母に作ってほしいと懇願したこともあった……確か却下されてしまったけれど。

プリンセスになりたかった幼い私は付録のちゃっちいチュチュを付けてワルツを踊った。はたから見れば小さい女の子が家で踊り狂っている風景だけれど、幼い私にとってちゃっちいチュチュは大好きなオーロラ姫のようなピンクのドレスで、貸しアパートの小さな居間は立派なダンスフロアだった。

小学生の時、私は本の虫だった。本をたくさん読めば美女と野獣のベルのようになれるかも!といった安直な考えからだったと思う。昼休みになると私は真っ先に図書室に向かい、片っ端から本を読み漁り、空想に耽った。お気に入りは名探偵が登場するミステリー。私は、空想の中で冒険者になったり、主人公の親友になったり、名探偵になったり……本を読んでいるときの私は無敵で、どんな人間にもなれた。

小学校高学年~中学1年生の時、私はとっくにプリンセスにも、物語の主人公になれないことにも気づいていた。私はアイドルの嵐に夢中だった。テレビ画面の中でキラキラと輝く嵐が王子様に見えた。今になって考えると何様だと思うけれど嵐のメンバーの相手役に決まった女優さんが自分の好きな人じゃないとブーブー文句を言ったり、そもそも嵐が出演する恋愛ドラマに拒否反応を示したりしていた。今ではちょっぴり苦い笑い話。

窓明かりに映る人生

中学2年生あたりから高校生にかけては、あまり空想の世界を楽しんでいた記憶はない。良くも悪くも現実を見だしたのだと思う。その時の私が大好きだったものは東京の景色。それも高速バスの車窓から見える高級高層マンションが立ち並ぶ港区の景色だった。千葉県の房総半島に住んでいた田舎者の私は年に2,3回いける東京の景色が、雑踏が、夜景が大好きだったのだ。マンションの光の一つ一つに私の知らない人の人生がある。今すれ違っている人とこれからどこかで出会うかもしれない、そう考えると胸がときめき、ワクワクした。

今の私はもう魔法も解けかけ。もう解けきっているかもしれないけれどそれは自分にはわからない。それを判断するのはもう少し年を重ねた自分だ。

魔法が解けていることを実感したのはあんなに大好きだったはずの東京の風景に何も思わなくなってしまったこと。大学進学をきっかけに上京し、見慣れてしまったせいもあるかもしれない。だけど、景色を見て「あの時こんな気持ちでバスに乗ってたなあ」と思い出すことはあっても、心が震えることはなくなってしまった。人ごみに対してはワクワクするどころか嫌悪感すら覚えてしまう。「あれ、どうして私こうなってしまったんだろう」そのとき、初めて魔法の存在に気づいた。

大好きだったもの、ピンク色、木登り、コケモモのみ、つつじの花の蜜、体に残った塩素のにおいを感じながら食べたアイス、夏を楽しんだ証の真っ黒に焼けた肌、お小遣いを握りしめて買った駄菓子、お祭りの落書きせんべい、着色料がたっぷり入った炭酸ジュース……。

今は何とも思わなくなってしまったし、むしろ嫌いになってしまったものもある。木登りはもう体格的にも厳しいし、つつじの蜜はちょっと汚い。真っ黒に焼けた肌なんて言語道断。ピンク色はキャラじゃないしそもそも似合わない。

私は小さいころからいろんなものを学んで成長した。あの時よりもたくさんのことを経験して、たくさんの言葉を覚えたのに、あの時の感性は失われつつある。多分、ここに書いたもの以外にももっと大好きなものはあったはず。思い出せないのも魔法が解けているせいなのかもしれない。

私の魔法が解けてしまう日

小さいころ、時の流れはゆるやかで早く大きくなりたいと思っていたのにこのままでいたい、時が止まってほしいと思うようになった。怖いんだ、魔法が解け切って今まで感じていたことを感じられなくなるのが。怖いんだ、何事もなかったかのように日々を過ごすのが。

きっと魔法の使用期限はあとわずか。それは今の私が証明している。私が残された時間にあらがうにはこうやって好きなものをつづるしかない。私が何より怖いのは、この魔法自体を「そんな風に考えたこともあったなぁ」なんて笑い飛ばせるようになってしまうこと。どうかお願いだから、私をつまらないおとなにはしないで。どうかお願いだから、魔法よ解けないで。