山崎ナオコーラさん「私が変わるんじゃなくて、社会を変えようと思った」
一昔前まで、「ブス」という言葉はタブー視されていました。しかし、ここ数年でそうした雰囲気は薄まったように感じます。そこで、次に生まれたのが、社会の求める「ブス像」に迎合する「ちょうどいいブス」という考え方。そんな中、山崎ナオコーラさんが新著『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)では「ブス2.0」とも言える新たな価値観「ブスは変わらなくていい、社会を変えよう」を提唱しています。どんな思いが込められているのでしょうか。
一昔前まで、「ブス」という言葉はタブー視されていました。しかし、ここ数年でそうした雰囲気は薄まったように感じます。そこで、次に生まれたのが、社会の求める「ブス像」に迎合する「ちょうどいいブス」という考え方。そんな中、山崎ナオコーラさんが新著『ブスの自信の持ち方』(誠文堂新光社)では「ブス2.0」とも言える新たな価値観「ブスは変わらなくていい、社会を変えよう」を提唱しています。どんな思いが込められているのでしょうか。
――最近は「ルッキズム(容姿至上主義)」に対する反対の声も盛り上がり、人を「美人」「ブス」と分けてしまうことに敏感になっています。あえて「ブス」とタイトルに出したのはなぜでしょう?
山崎ナオコーラさん(以下、山崎): 顔に良し悪しがある、美人・ブスというものがあることを否定する必要はないと思います。最近は「世間の基準とは違う、多様な美しさ」を提唱する人が増えましたが、その場合も「美しさ」は肯定してしまっている。努力をしない人、容姿に重きを置かない人にも、差別を受けない権利があります。容姿の良し悪しを否定することではなく、差別をしないことが大事だと思います。
美人も差別を受けています。例えば、仕事で成果を上げても「美人だから」という評価をされてしまったり、写真を撮る時に「ほら真ん中へ」って言われてしまったり。世間話をしようにも「美人」という言葉が入ってるだけで「はいはい、自慢ですね」って聞き手が思考をストップしてしまうこともあります。
ブスも同じ。「ブス」という言葉が入っていると「自虐ですね、はい終了」ってなってしまう。容姿の話をしづらい空気はあると思うんです。だけど、容姿の話を全くしないことは、差別がなくなることじゃないと思う。もっとフラットに美人とかブスとか言えるようになったらいいのに。
――フラットに容姿について語れる、とはどういうことでしょう?
山崎: 人間は多面的な生き物だから、容姿でそこまで存在価値は決まらないじゃないですか。本にも書きましたが、英語が話せるのと一緒だと思うんです。英語を話せた方がいいけれど、話せなくても他にいいところはいっぱいあるし、コミュニケーションの方法はいろいろある。
容姿だけで決まるわけがない。なのに美人というだけで「上から来たぞ」、ブスというだけで「下から来たぞ」っていうのは過剰反応ではないでしょうか。
私は、ブスを理由に死にたいなんて思わないし、生きる気満々です。だから、ブスの話をフラットにしたいです。「ブス」という言葉が出たくらいで会話が止まらない方が議論も深まり、良い社会になると思います。
――容姿は要素のひとつでしかない、と。容姿への配点が異常に高すぎることが問題なんですかね。
山崎: そうですね。一要素になってない。仕事をどれだけ頑張っても容姿がだめだとゼロになる。「でもブスじゃん」って。それはおかしいですよね。
作家デビューした15年前、社会のネットリテラシーが今よりものすごく低かった時に、ネットで「ブスは作家になるな」「ブスは表に出るな」「仕事を頑張っても、ブスは底辺」など、容姿の誹謗中傷を受けました。友達に相談すると「ブスなんて言葉、言っちゃだめだよ」「そんなの気にしちゃだめだよ」って言われました。
山崎: でも、私にとってそれは「セカンドレイプ」に感じたんです。私が被害者なのに話をさせてももらえない。最初は素直に「私は人前に出ない方が良いのかな」「お化粧頑張るようにしようかな」と思ってしまいましたが、徐々に「ブスって言うな、気にするなって、私が変われということか? でも、被害者側が変わるべきっておかしくないか?」と疑問に思うようになったんです。これは、いじめの構造と一緒で、いじめられている子に対して「気にしなきゃいい」というようなもの。気にしなければ、いじめの問題がなくなるわけじゃないですよね。
だから、私が変わるんじゃなくて、社会を変えよう、と思ったんです。
――私も昔、容姿に悩んでいた時に「じゃあ整形すればいいじゃん」って言われたことがありました。その時私も「いや、容姿で差別する社会がおかしいのに、なんで私が変わらなあかんねん」と思いました。10年前にこの「ブスの自信の持ち方」を読んでいたら、救われていたと思います。
山崎: でも10年前ならこの本は出せなかったと思います。それは、「ブス」というワードを出してもよくなったのが最近のことだからです。それまでは「言ってはいけないこと」となっていましたから。
――何がきっかけで「ブス」解禁になったのでしょう?
山崎: これまでは、世間が求めるブスというものを、ブスが演じていたと思うんです。例えば、イケメンが来たら喜ぶ、美人に憧れる、ブスを自覚していない……とか。
山崎: ただ、その(ブスが求められる役割を演じる)「ブスのキャバクラ」に対して、多くの人が違和感を持っていたことが表出してきたのかなと思っています。ブスっていうのが本人の価値観ではなく、社会から求められていることをしているだけではないか、と。ブスという言葉を出してもOKになって、やっと議論ができるようになってきた。「やっぱり変だよね」と思える人たちがつながれるようになった。
そこで、ブスのシステムが見えてきたところで、次に出てきたのが、ストレスなくどう迎合していくのかという視点。それが芸人さんが提唱して話題となった「ちょうどいいブス」なのかなあと感じています。もちろん、そうやって迎合する生き方があっていて、うまくいく方もいると思いますし、それはそれでいいと思います。ただ、私はそのシステム自体を壊したい。
――ブス2.0の時代ですね。手応えはありますか?
山崎: 手応えっていうほどのものか、わからないですが、この「ブスの自信の持ち方」をネットで連載している時は、読んだ他の作家から「私もそう思っていた」という声を聞きました。
もちろん、私は作家なので、実際には「社会を変える」よりは、「ページを全部めくらせる」のが仕事です。ただ、政治家や社会学者とは違うアプローチの方法で、「社会を変える」ことに加われたらいいなと思っています。
もっと言えばネットの書き込みも雑談も全部、社会作りだと思っています。小さなことでも発信することで社会は変わっていくと思っています。
1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら書いた『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説『偽姉妹』『趣味で腹いっぱい』のほか、エッセイ集『指先からソーダ』『母ではなくて、親になる』がある。
目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。
作家・山崎ナオコーラさんが、月に1度、投稿の中から「推しエッセイ」を紹介します。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。