受験生時代にものすごくお世話になった先生がいます。その先生にありがとうと、伝えたい。伝えられたらいいのに、卒業から半年たった今も言えずにいます。

私は数学が大の苦手でかつ数学嫌いという、いわゆる典型的な「数弱」でした。そんな私でも数学から逃げずに2次試験まで頑張ることができたのはその先生のおかげでした。

数学以外でも先生が教えてくれたことはたくさんあります。
計画的に行動すること、何事にも真剣に取り組むこと、あきらめないこと、自分の運命は自分で決めること、人や自分を信じること、前向きな姿勢、自分の人生に誇りを持つ(誇りを持てるような人生を送る)こと……。挙げたらきりがないほど、本当に多くのことを教わりました。

結果を報告しようとした矢先、まさかの…

センター試験が終わり、私大の受験が2日後に迫っている日に先生に会いました。
センターでそれなりに点数を取れた私は第一志望の国立大学を、センターの配点が高いところに変えるか悩んでおり、元々の志望校に対して漠然とした不安を抱えていました。

先生はそんな私の不安を読み取り、「そんな中途半端な気持ちではライバル達に負けてしまう」と喝を入れてくれました。その時の先生の少し悲しそうな顔は今でも忘れられません。

無事に私大を確保した私は第一志望を変えずに受験しました。結果はサクラチル。
しかし、これで失敗しても悔いはないと思えるように戦ったので気分は穏やかでした。

ところが先生に結果を報告しようとしていた矢先、確保したと思っていた私大に入学書類を送っていないことが発覚しました。
穏やかな気分は一変、それまで能天気に生きていた私は人生で初めて「消えてしまいたい」と思いました。

自分の失敗した姿を見せたくない

幸い、まだ出願できる大学があったため大学生になることはできましたが、私は「学歴コンプレックス」なるものを抱えてしまいました。

大学の名前に苦しめられる日々の始まりです。

「学部を変えていたらあっちの大学に行けたのに」
「本当はあっちの大学に受かってたのに」

そんな不満を抱える私にとって履歴書、会員登録の書類、応募用紙など、大学名を書かなくてはいけない書類や、「大学どこ?」「大学はどこの駅が最寄りなの?」「大学では何を勉強するの?」「どうしてそこの大学を選んだの?」という質問の数々は、勉強した成果を結果に繋げられなかったんだという現実を押し付けてくるこの世で最も憎い存在です。

「出身大学の名前は一生背負うものなので、皆さん悔いが残らないようにしましょう」

高校生の時には他人事のように感じていた古典の先生のこの言葉が、今ではぐさりと胸に刺さります。私は一生出身大学を恥ずかしく思って生きていくのかな、高校の同級生に会いませんように、通っている大学がばれませんようにって念じながらこれからも駅のホームを足早に駆け抜けていくのかな、社会に出ても、話題が大学のことに変わりませんようにって相手の顔色を伺いながら人と会話するのかな……。

結果を得られなかった受験のおかげで、私は何に対しても精が出ずに寝坊や遅刻、夜更かしを繰り返してばかり。課題も提出期限を過ぎ、テストにいたっては前日資料をちらりと見てみるだけ、新しいことを身につける気もない。
自分で自分が本当に嫌になるけれど努力の仕方さえも忘れてしまいました。春は出会いの季節というけれど、受験を終えた私は不満も不安も積もりに積もって、私だとは認めたくないような嫌な自分に出会ってしまったのです。

しかし、いくら思い通りの結果にならなかったとはいえ、お世話になった人に対して感謝の言葉を述べ、結果を報告するのはマナー。それに私の尊敬する先生は、人を学歴で判断するような人じゃない、そんなことはよくわかっています。

それでも自分の失敗した姿を見せたくない、学歴にとらわれているような状態で先生に会いたくない、とプライドに邪魔されてはや5ヶ月。
このままではいけないと思い、留学のためバイトをして英語の勉強をする傍ら、一人になった時ふと込み上げてくる切ない思い。

いまだに「ありがとうございました」の一言も言えないまま、大学1年の夏が始まってしまいました。

ペンネーム:ダ・ピンチ

職業:大学1年生
好きな食べ物:カロリーが高いもの
嫌いな食べ物:体に良さそうなもの
趣味:散歩
特技:幸せを感じること
苦手なこと:虫に出会った時冷静さを保つこと。注射を射たれること。早起き
尊敬する人:好きなことを仕事にしている人