「今日で○○と付き合って××カ月!これからもよろしくね!!」

よく見るInstagram の投稿。インスタと呼ばれるこのSNSは、毎日毎日誰かしらの日常がのぞけちゃう便利なものだ。「インスタ映え」なんて言葉が当たり前に使われてるぐらい私たちの生活に溶け込んでる。

そんなインスタは私の苦手なものの一つだった。

もともと留学先でできた友達と連絡を取り合うために始めた。はじめは、楽しく使えていたはずなのに、いつの間にか、ほかの人の投稿を見て劣等感を抱き始めた。

土日に楽しそうに出かけている写真の投稿がたくさんある。反対に私は家でごろごろしていただけだ。インスタにあげるような「事件」もなく、のうのうとアニメを見たりゲームをしたりしていた。自分の中では平日頑張った自分へのご褒美としてゴロゴロしていたわけで、それなりに充実した休日だって思ってた。

でも、楽しそうなお出かけの様子の写真の投稿の数々を見ていると、部屋着でごろごろするっていう私の時間の使い方を遠回しに「時間の無駄遣いだ」って言われてる気がして、自分が否定されている気分になった。それに、なんだか自分に魅力がないような気がしてすごく悲しかった。

今の自分をもっとよく見せなくちゃ

「彼氏ができなきゃいけない」「友達とたくさん遊びに出かけなきゃいけない」「おしゃれな洋服を着るようにしなきゃ」……自分の好きなように時間やお金が使えなくなっていた。

友達との会話についてくために、インスタのチェックは欠かせない。
投稿されている写真には、私にはいない彼氏や、スタイル・センスを見せつけるようなものばかり。それでも、今の自分の周りにいる人間関係をよりよく、よくならなくても現状維持させるにはやらなきゃいけないと思ってた。自分のコンプレックスをチクチクと刺される気持ちになった。

2、3年前の私は、インスタの中に私の理想像があると思っていた。

インスタという鎖に縛られていたのかも

だけど、今思えば、SNSに熱心じゃなくても人間関係をうまくやっていた人、彼氏がいなくても「リア充です!」って感じの人はたくさんいた。それに、どんなにステキな写真を投稿している子でも、みんなに好かれていたわけじゃなかった。

知らない間にインスタという鎖に縛られて私自身の視野が狭まってたのかもしれない。

大学に入り、鎖に縛られていない人たちに出会った。授業をさぼってでもバイトに明け暮れたお金で海外旅行をする人。アイドルに会うために毎週のように地方に出かける人。サークル活動に力を入れてる人。どの人も自分の好きなことに夢中で一生懸命でキラキラしてるように見えた。そういった人をみて、インスタを通して自分の首を絞めるようなことをしているのがばからしく思えてきた。

どんな状態がリア充なんだろう

だから、大学では自分らしくいようと思う。自分らしいって何かはわかんないけど。
自分の好きな服を着て、ご飯を好きなだけ食べて、行きたいところにたくさん出かけよう。こんな自分にもいいところがあるって気づかせてくれて、受け入れてくれる人たちとだけ仲良くしていこう。そもそも誰からも好かれる人なんて、この世にいない。彼氏はいたらいたらできっと楽しいだろうけど無理して作るものじゃない。

どんな状態がリア充かなんて、インスタじゃなくて自分が決めるものなんだから。

ペンネーム:しばいぬ

何もない日は睡眠とゲームとアニメ鑑賞のサイクルで1日をベットの上で過ごしてしまいがちな超インドア派。でも、大学生のうちに海外に旅行に行きたいと思っていて最近の土日はバイトに明け暮れる日々を過ごしている。