本当に君が好きなんだよ。彼はそう言いながら、私の涙と鼻水をふき続け、私の涙が枯れるまで抱きしめてくれた。 親には言えなかったモノをぶちまけて、私の深い傷を癒してくれた当時19歳だった彼。
「君は、生まれてきた子を守れる。絶対に大丈夫」
彼が私に示してくれた、絶対的な肯定。今でもドン底に落ちた私の心を掬い上げてくれる。 宝物のような言葉だ。

発達障がいは遺伝するのだろうか。
まだ、医学的に解明されてはいないが、様々な分野で議論がなされている。
私のような障がい当事者女性からすれば、自分の子どもが欲しいと思った時、どうしてもそのことが頭をよぎってしまうのだ。

大学の単位もちゃんと取れて卒業できた。大学の体育会の部活でも(周りの助けを必要としながらも)活動した。 そんな恵まれた楽しい生活の中でも、この障がいさえなければ幸せだった。

今は元気な時期なので笑い話にできるが、調子が悪い時期にはパニック発作を起こしやすく、過呼吸になったり、落ち着くために手を掻いていたら知らないうちに皮膚がべろべろに剥けていたり、悩みのタネは尽きない。 特に生理前のPMSの酷さは半端ではない。 辛いことを並べて書いていると、また鬱モードに入りそうだが、そんな私を彼の言葉が救ってくれた。

私を救ってくれた言葉

あの日のことは今でもよく覚えている。
発達障がいという診断が下りた大学1年生の春、当時お付き合いしていた男の子に障がいのことをカミングアウトした。 私が障がいだとわかる前、中学3年生の頃から付き合っていた男の子だった。 「このまま何もなかったら俺たち結婚でしょ、そうだよね?」 と彼は言い、私もそれを信じて疑っていなかったくらい仲が良かった。

「もし大好きな人との間に生まれてきてくれた自分の子どもが、私と同じような障がいを持っていたらどうしよう」
彼の家に着くやいなや、親にも言えなかったその言葉と共にカミングアウトした。 いざ全部言ってしまうと張り詰めていた気がゆるんで、みるみるうちに涙があふれフローリングの床に膝から崩れ落ちた。 カーペットも敷いていない住み始めたばかりの彼の部屋の床に、ポタポタと私の涙が落ちた。次第に、涙が落ちるだけでは済まずに嗚咽がこみ上げてきた。 メイクは崩れ放題、髪はボサボサ、涙と鼻水が止まらなくなり、見た目は相当酷かったと思う。

しかし彼は、そんな私にも引かなかった。 彼の眉尻はいつも以上に下がっていて、困っているというよりむしろ、私が泣いていると悲しいなぁという顔をしていたのを覚えている。 真剣に、ゆっくりと、言葉を選びながら答えてくれた。

「君は、その生まれてきた子を守れると思う。だから、絶対に大丈夫」
「そんな簡単に言わないでよ!何も知らないくせに」

「必ず君は子どもを守れる。だから大丈夫」

我慢できずに、ウェーンと声をあげながら泣き出した私の涙と鼻水をティッシュで拭き取りながら、彼は続けた。
「その子がするかもしれない苦労を、君は全部知ってるじゃないか。その苦労を知っている分君は強いよ。その子が傷ついても助けてあげられる方法や幸せに過ごせる方法を勉強していけばいい。僕も手伝うよ」
「でも私は、この障がいがすごく嫌。生まれなきゃ良かったと思ってるくらい嫌なのに」 「僕は君が大好きだから、君が生まれてきてくれてマジで嬉しいんだ。だから、そんなこと言わないで」

当時のその彼とは別れてしまったけれど、この言葉は一生私の心を彼の誠実さと共に温めてくれることだろう。 今、この記事を読んでいるあなたにもこの言葉を贈りたい。

だから、学び続ける

そして、私も学び続ける。
私は結婚するかどうかも、子どもを授かるかどうかもわからないけれど、いつか来るかもしれないその時のために、学び続けるのだ。 この障がいとうまく付き合って、幸せになれる方法を。