大学1年の女性をさす、1女。「華の1女」なんて言葉があるけれど、おかしくない?とその言葉に疑問を抱く今日この頃。
実際問題、以前同期で撮った写真を見返すと、明らかに1女の時より今(3女)の方が垢抜けて見えるし正直言ってかわいいと思うんだ。2、3歳しか変わらないのに若さってそんなに大事なの?
サークルの中で1女がちやほやされる……のはどこのサークルでも似たようなものなんじゃないか。1女としているだけで彼女らの周りはかわいいという言葉であふれる。
自撮りをしててもかわいい、じゃれててもかわいい、キャイキャイはしゃいでてもかわいい、かわいいかわいい…いやしんど。かわいいでゲシュタルト崩壊するわ。
上級生女子ってだけでハードモード
1女がキラキラして見えるのは分かる、そりゃそうだ。新しい生活に胸をときめかせ、やることが新鮮だから常に楽しそうで。確かにね、分かるんだよ。そこに関しては異論はない。
でもさ、それで上の学年の女子達が割りを食う必要はなくない??1女と同じようにキャイキャイはしゃいでて「これだから3女は…」みたいに白い目で見られるの意味わからんぞ??生きてるだけでかわいいと言われる1女を尻目に、上級女子はいろいろなことでやいのやいの言われる。例えばカラオケ。2年の時、同期の女の子と一緒に大塚愛の「黒毛和牛上塩タン焼き680円」を入れたら「2女でそれ入れるのやば笑」と3年生の男子と同期の男子に笑われた。王道の「さくらんぼ」は1女に譲ったのだからよくないか?てか何歌おうが勝手じゃん?と思ったのをよく覚えている。
2女、3女であることを理由に煽ってくる上級生男子、2女、3女であることを理由に自虐を重ね、かわいいのバーゲンセールをしだす上級生女子。いやぁこの構造……地獄すぎません??上級生女子ってだけでサークルライフはハードモード。もう一度言う、意味がわからない。 年齢、こればっかりはどうしたってひっくり返らない。誰も年には逆行できないし、重ねるほかないから。綺麗だろうがかわいいだろうが関係ない、大事なのは若さとフレッシュさ。まぁここには当然ある程度の容姿という絶対条件があるのだけれど。
浪人した後輩は1女だけど学年的には2年生の現役と一緒だから1.5女、なんて言われてた。妥協せずに志望校を追い求め努力したのにこの言われよう、全くもって笑えない。1つ年齢を重ねただけで「ババァ」と言われたり、そう自称して自虐してみたりしなければならない暗黙の了解。私はそれが本当に納得できなくて、1女への必要以上のリップサービスはしないという小さな抵抗をしていた。(本当に思った時はもちろんきちんと認めて褒めていたけど。)
若くきれいなまま死にたいと思った
高校生までは「JK」という無敵の肩書きを、若さを知らず知らずのうちに振りかざして生きていた。いつメンとディズニーランドに行って、お揃いの耳をつけて。意味もないのに制服姿で自撮りをしまくる。もちろんインスタに載せるのはアプリ加工後の自分。
高校生の頃、私は歳を重ねることに対して漠然とした恐怖を覚えていた。周りの大人たちが歳を重ね、白髪が増えたり、シミが増えたりしてるのを見る度に若くてきれいなまま死にたいと思った。
大学に入り、サークルに入って私は初めてその漠然とした恐怖の正体を知ることになった。自分がなりたくないものになるということの恐怖。1女の時もちやほやされて悪い気はしなかったけどそれ以上に必要以上に下げられる2女、3女の先輩達を見るのがしんどかったし、なりたくない、学年を重ねたくないと思った。
そんな話をすると、「大丈夫、就職すればまた1女になれるから」なんて言われるんだけど、そうじゃないんだよなぁ。またちやほやされようがそれはまた1年でしかない。ステキな社会人のお姉さんの知り合いはいるのに、憂鬱な気分になる。ちやほやされる=若さに価値を見出されること自体、気に入らない。
でも気に入らないのに自分が歳を重ねる事を拒んでるのだから私自身も自分の若さに価値を見出してるのは事実なんだ。社会も女性に「若さ=価値」の呪いをかけてる気はするし、私みたいに自分自身でその呪いをかけてるひとは少なからずいると思う。「若さ=価値」の呪い、がんじがらめで複雑すぎない?? あー誰か、この呪いの解き方を教えてくれ。