私は、物心ついた頃から、女の子が当たり前にできることが、全くと言っていいほどできなかった。机の中はいつもぐちゃぐちゃで、字は汚かった。ランドセルの奥からは蛇腹になったプリントがよく発見された。何より楽しみな図工も、絵の具の水の加減が下手で、静物画の授業で描いたピンクのバラを、好きな男の子に「脳みそ?」と言われてしまう。落ち着きがなくて、忘れ物が多くて、時間を守れない。

いわゆる「女子」という枠組みからはみ出してしまう私は小学校でも、学習塾でも、中学校でも「菌扱い」されていた。かさついた低い声と、がさつな挙動。大きな声でまくし立てるような話し方をすれば、女としての魅力は著しく低い。だから、私に好かれた人は迷惑なんだと、思うようになった。

この世に容姿の差があるなんて気が付きもしなかった

中学生の頃の私は今よりずっと太っていて、ダサかった。好きな男の子に告白して、「ブスのくせに告ってきた」と言われた(と又聞きした)のもこの頃だ。世の中には「かわいい子」と「かわいくない子」というのがいるということを知ったし、思いのほか容姿は大事だということを身をもって知った。小学校までとは明確に違った。もうみんな、子どもじゃないのだ。子どもの頃はみんな「かわいい」と言われてたから、この世に容姿の差があるなんて気が付きもしなかった。

その現実を知ってしまった私は、自分の存在がたまらなくゲテモノに思えてきて、人と話すのが怖くなっていった。自分がスクールカーストの底辺にいることを知り、自分より上だと思う人間とは目も合わせられず、口が上手く聞けなかった。

前髪をつくっても、痩せてみても、高校に上がっても、コンプレックスは消えなかった。髪を伸ばして、白いセーターを着て、スタバに行って、プリクラを何十枚撮っても、心の中の最後のパーツが埋まらない空虚さがあった。

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それは、一度与えられた女としての不合格に対する執着だったのだと思う。いつか合格がもらえると思っていた。合格がもらいたかった。私をブスだとラベリングした、私の顔に貼られた(自分で貼ってしまった)、「ブスラベル」を剥がしたくて、そんな男の子のことが、ずっと諦めきれなかった。

自分で剥がせばいいラベルを、彼が剥がしてくれると、彼にしか剥がせないと思い込んでいたのだ。キョンシーのように顔に大きく貼られた「ブス」は私の視界を奪い、心を蝕んだ。

願うような気持ちで何度鏡を見たことだろう。街を歩けば自分を映すショーウィンドウに目がいった。鏡という鏡を探しては自分を映してチェックしていた。「美人」になりたかった。

私は常に、自意識とばかり付き合ってきたのだ。

相手が見えた恋愛が出来なかった。いつも独りよがりで、一方的で、願うような気持ちでしか相手を愛することが出来なかった。
「ブスラベル」を貼り付けた私は前が見えなくなっていた。好きな人が変わっても、環境が変わっても、10代の私は「ブスラベル」を剥がしてくれる誰かを探していたのである。

誰かに愛されことで変わるのだと信じていた

「ブスラベル」を剥がせるのは、勝手にそれを貼り続けてるのは、自分自身しかいないのだけど。

それでも、カエルにキスをすると王子の姿に戻れる童話のように、誰かに愛されることで初めて人間になれると、信じていた。

そんな劇的なことが起きるかもしれないと、常に願ってきた。

恋愛に限らず、受験で志望校に入るとか、何か華々しい活躍をするとか、創作をするとか、そういうことで、ある日自信のなさが埋まって、全く別の自分になれるのではないかと、期待してきた。

なんなら、今この瞬間でさえ、こうしてここに文章を綴っていることで何か人生が大きく変わるのではないかと願ってしまう。

自分が劇的に変わることはない

だけど、私はもう気がついているのだ。受験で志望校に入っても、恋人が出来ても、創作をしても、自分が劇的に変わることは無い。永続的な自信が湧いてくる訳でもない。

自分が自分の延長線上にいるだけで、それが劇的に別のルートになることも無い。あとから振り返ってみればあの頃の自分とは別人のような場所に来ていた、ということはあるけれど、その時の一歩一歩の先にあるだけで、私は私をやめることは出来ない。

そこで、私が本当に願っていたのは、「別人になりたい」「私をやめたい」という願望だったことに気がつく。私が求めていた「美人」になりたいという気持ちは、自分をもっと高めたい、という意味ではなく、今の自己の否定と、別のルートへの渇望でしかなかったのだ。だから、私が悩んでいたことは、結局「自分を愛せない」ということに集約される。

10代の時よりも、もっと自分を好きになったはずなのに、肝心の最後のパーツが足りないと思い続けてきた2年間だった。

足りなかった最後のパーツは何か

私に足りなかったものは「私が私として生きる覚悟」だったのだと思う。私じゃない何か、にはなれないのだという現実に向き合い、その上で、人生をどう戦い、楽しみ、慈しむのか。

それはある意味残酷であるし、その「自分」でいることから逃れたくて今この瞬間にも苦しんでいる人がいるかもしれない。

だけど、理想からの引き算でしか自己を認識できなかった私にとって、それは埋まらなかった穴を埋める、最後のパーツになった。

私は「私」であることに、自信がなかったのだ。切り捨てたい部分を自分の一部だと認めてこなかった。あるべき姿ばかりを見て、常に「ブス」だの「ガサツ」だののラベルを自分に貼り付けて生きてきた。

だけど、どこにも代わりの身体があるわけではない。どうせこの器や機能と共に人生を走り切らなければいけないなら、そんなラベルは剥がしてあげて、なるべく綺麗に磨きあげ、出来るだけアップデートして、大切に使ってあげることが、幸せに生きる唯一の方法なのだろう。

願うような気持ちで鏡を見て、自分を何度も確かめるようなことはやめて、私が「私」を受け入れたとき、初めて自分を愛せる気がした。