「太った?」というささいな言葉がはじまりで、ふつうに食べられなくなった――。

数年前から、極端に食べる量を減らしたり、逆に食べ続けて吐いたりしてしまう「摂食障害」の人たちにインタビューをしています。なかには、一時20キロ台まで体重を減らしてしまった高校生や、拒食と過食を繰り返して33キロの増減を経験した女性もいました。

スマホで簡単に写真の加工ができて、SNSにアップされて……いつもあちこちに比較の対象がある。10年ほど前の自分の学生時代よりも、ルッキズムから自由になって生きるのがさらに難しくなっているんじゃないかと感じています。

まわりと比べて私は……

取材した人たちの摂食障害になってしまった「きっかけ」は、ダイエットやストレスなどさまざまでした。

でも、ダイエットが始まりで摂食障害になった人の多くが、周囲からの「太った?」という一言が心に残っているとか、「まわりの友達と比べて自分は太っている」と刷り込まれていた、と語っていたのが印象的でした。

食べる量を減らしたり、過度な運動をしたりして、目に見える「体重」という数字が減ると、達成感が得られる。周りから「やせた?」「かわいくなったね」と褒められる。

お菓子、肉、白米、と、だんだんと「食べちゃいけないもの」が増え、日々1グラムでも体重が減らないと満足しなくなって――。その反動で過食嘔吐するようになってしまった女性もいました。

「やせなきゃ」の強迫観念はどこから

私自身も、小さな頃からぽっちゃりした体形が恥ずかしいと思っていました。
細い子を見ればうらやましかったし、自分の立派な骨格がうらめしかった。それも、小学生の頃、クラスの男子から「太ってんなー」と言われたことがはじまりだったと思います。

「そうか、太っていることは、周りから笑われることなんだ」と怖くなった。

同級生の女の子たちとも、よくダイエットの話をしました。
ただずっと気になっていたのは、BMI(体格指数)でいえばやせすぎのレベルに入るであろう女の子でも、「ダイエットしなきゃ」「太りたくない」と言っている女の子がいることでした。

はじめは、私の「そんなことないよ~」「やせてるじゃん!」という返事待ちなのかな、とも思っていたけれど、強迫観念のように本気で「もっとやせなきゃいけない」と思っている女の子も少なからずいました。

大学時代の友人は、みんなで夜ごはんを食べにいっても水しか飲みませんでした。「貧血で倒れちゃわない?」と心配になるほどすでに線の細い子で、実際に体調を崩すこともありました。摂食障害について書いた私の記事を読んだその友人は、「実は私も、大学時代は食べるのが怖かった」と打ち明けてくれました。

私自身は、会社に入って赴任地で新しい人間関係ができたり、事件事故や高校野球、世の中の様々なものごとを取材したりするうちに、

「『やせなきゃ』とか『かわいくいなきゃ』とか、外からの体形や外見への視線に苦しめられて好きに生きられない社会ってしんどいな!」

って感じるようになりました(「私の見た目ってあなたに関係があるのか?ほっといてくれ!」みたいな)。

何かできないかと取材を始めると、想像以上に食と身体の関係に悩んでいる女の子たちが多いことや、摂食障害に苦しんでいる人への支援がほとんど足りていない現状を知りました。

でも「やせなくていいよ」はなかなか届かない

なぜ、日本では「やせなきゃ」というプレッシャーがこんなに強いのでしょうか?

女性の第二次性徴は、からだが丸みをおびてくる時期。でも、20代の日本人女性の5人に1人は、「やせすぎ」とされるBMI18.5未満です。やせている女性が産む子どもの低体重も問題になっています。

でも、思春期の女の子たちに「からだが変わるのは当たり前だよ」「見た目じゃないよ」「将来の子どもを産むためだよ」とどんなに声を枯らして伝えても、それはなかなか届かない。

「友達に『太ってる』と思われる方が嫌」「デブって言われたくない」が勝ってしまうと感じています(この2文字が日本語からなくなればいいのに)。こういう言葉って、言った方は悪気がなくても、言われた方はずっと心に刺さったままだから。

さらに、雑誌やテレビ・ネットでは、細いアイドルやモデル、ダイエット情報……日本社会には「やせた方がいい」というメッセージがあふれています。誰かの容姿について「太った?」「やせた?」と言及することが「悪い」という風潮にもなっていない。

「やせ」プレッシャーと適度な距離を

ただ、「やせた身体が理想」という価値観をがらっと変えることはできなくても、「『それって外からの視線だよね』と距離を置くことはできる」とアドバイスする人がいます。

文化人類学者の磯野真穂さん。摂食障害の女性にインタビューした『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』(春秋社)の著者で、2016年から、身体と食のかかわりを考える「からだのシューレ」というワークショップを開いています。

ワークショップ「からだのシューレ」で話す磯野真穂さん(水野梓撮影)

磯野さんに初めてインタビューしたとき、「『やせているのがいいこと』って、誰が決めたんですかね? 水野さん自身でしたか?」と言われて、ハッとしたことを覚えています。

これまでいくつかのワークショップに参加しましたが、「『ふつうに食べる』って案外すごいことなのでは」とか、体重や糖質量、SNSの「いいね!」といった比較ができる数字の魔力で「食」や「身体」を見失っていないか――などなど、自分が「当たり前」と思わされていたことを、少しずらして考えるヒントを得られました。

さらに、磯野さんが10月に出版する新著『ダイエット幻想』(ちくまプリマー新書)は、私たちの「やせたい」という願望や、「承認欲求」との向き合い方を考える本になっています。

誰しも承認欲求はある。だって、誰かから呼びかけられないと「自分」は存在しないから。

ただ、他者のニーズや呼びかけに耳を澄ませてばかりいると、認められたり愛されたりすることばかりを過度に求めてしまう。

磯野さんはこんな風に綴ります。

「ダイエットの語源は生き方(way of life)」
「いつから私たちは、〝生き方〟を〝やせること〟に変換し、やせることで幸せが訪れるような幻想に陥ってしまったのでしょう」

5年後、日本も変わっているはず

海外ではファッションショーにやせすぎのモデルを使わないとか、モデルたち自身が「この写真は加工だよ」と明かすとか、だんだんと「Body Positive」の流れに変わってきています。日本も変わっていけるはず。

5年後の女の子たちには、周りから「評価」される体形や見た目や体重に振り回されずに、やりたいことや美味しかったもの、今日楽しかったこと……心や身体の声にもっと素直に生きる毎日を過ごしてほしいと願っています。

10月11日は国際ガールズ・デー エッセイ募集中

「女の子らしく」「女の子なんだから」……小さな頃から女性が受けてきたさまざまな社会的制約。ジェンダーに関わらず、生きやすい社会を実現していこうと、「かがみよかがみ」では、10月11日の国際ガールズ・デーにあわせ、「#5年後の女の子たちへ」をテーマとしたエッセイを募集しています。ステキなエッセイを書いてくださった方は、フェミニズムの第一人者である上野千鶴子・東大名誉教授にインタビューする企画(10月中旬、都内で開催予定)に参加することができます。この企画に参加希望の方のエッセイ締め切りは10月6日までです。