ブスと言われ続けた人というのはよく聞く話だ。ひどい話だと思う。人にブスと言う人は皆滅びればいい。
美人と言われ続けた人、というのも世間にはいるだろう。美人だと言われ続けてきた人生。直接本人に聞いたことはないけど、そうなんだろうなと思う人は私の人生で何人かいる。まとう雰囲気が幸せに満ちているのだ。
そして私は、そのどちらでもない。
ブスと言われたことも、美人と言われたこともある。

私の白さには、色素が薄い、もしくは色素が無く生まれる遺伝疾患である「アルビノ」という名前までついている。アルビノであるがゆえに私は髪や目の色が薄く、肌の色も人より白い。美白信仰というものに助けられたこともあったかもしれない。私と比べると白くない妹が年頃になって日焼け止めを買っていたのを見つけて、「今さら美白を気にしたって色白になんかなれない」と嘲笑した母のことを、私は忘れない。

色白でないだけで、ブスなんだ。そう思った。だったら私は妹よりブスじゃない。妹よりは美人寄りにいる。そんな認識が作られた。今思えば妹は目がぱっちりしているし、たしかにあの頃は日に焼け過ぎていたけれど、決してブスではない。しかし、親の言葉というのは大きいもので、その後しばらく私は妹に恨みのこもった視線を向けられた。何故なら、妹が欲しい"白い肌"をもっているから。
しかし私も親にはブスと言われたこともある。それは、ニキビがあったから。私はニキビを治すために努力をするのが心底嫌だった。あれを食べるな早く寝ろこれをしろ……と言われる度にうんざりしていた。

一方で当時の友人に美人と言ってもらえることもあった。美人の前には「黙っていれば」とか、「残念な」という言葉がついていることが多かったけど、美人と言われているのに変わりはなく、私は喜んだ。

あの人は美人といい、別のあの人はブスという。正解はなに?

そして、私の自己認識は荒れに荒れた。Aさんは私のことをブスって言う。BさんCさんは褒めてくれる。さて、本当のことを言っているのは誰でしょう? という具合に。
私は自分が美人かブスか分からずに数年を過ごした。自分のなかに「私は美人」と言う私と「ブス」と言う私がいる。不思議な感覚だった。

そんななか、私のことをとても褒めてくれる友人に出会った。かわいい、綺麗、色白で素敵……ありとあらゆる褒め言葉が私に降り注いだ。嬉しくてたまらなかった。その友人は私から見てもとても美人だったから、そんな人に褒められた、認められたということがとても喜ばしいことだった。

私を好きな人は私を美人と言う

友人に褒められて自信をつけて意気揚々と帰省した日、妹に「口紅の色が似合わない」と嫌みを言われた。言い返しながら、私は気づいた。私を嫌いな人は私をブスと言う。私を好きな人は私を美人と言う。そんな単純なことに、20数年生きてきて全く気づきもしなかった。同じニキビでも私を好きな人にはかわいく見えるだろうし、私を嫌いな人にはニキビがなくてもニキビが見えるかもしれない。

ああ、何だ、そんな単純なことだったんだ。美人かブスかなんて話は本当に美人かブスかの答え合わせなんかしていなくて、誰しももつ顔の欠点を「でも(行動や言動が)かわいい! 許しちゃう!」となるか「許せるわけがない、貶めてやる!」となるかの話だったのだ。それに、私が定義する美人とは顔の美しい人で、そこに言動や行動は含まれない。そこも、ずれていた。

自分が美人かブスかの論争を頭のなかで続ける私は、まだいる。でも、できるだけその論争をやめにしようと意識してブレーキをかけるようにしている。そんな議論、いくら白熱したって意味ないから。私は私を好きな人のところへ行く。私を美人と言ってくれる人のところへ行く。そしてその人達を大切にする。そうしたら顔がどうであれ幸せになれる。そう信じている。

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