「女性は弱者である」
わたしがそうはっきり認識したのは、中学生の頃だったと思う。わたしは中学高校と女子校に通っていた。生徒の大半が電車通学をしていたのだけれど、痴漢や露出狂などの性犯罪に巻き込まれたことのない生徒はほとんどいなかった。中には制服のスカートを切られた子までいた。実際、わたし自身も家のすぐそばで露出狂に遭遇した経験がある。学校の近くに不審者が出た場合は先生方が対処してくれるけれど(実際かなりの頻度で現れた)、最寄り駅からの帰り道は基本的にひとりだ。当然の原理として、自分よりも体格のいい男性に襲われても、わたしには何もなす術がない。自分が女性である、という事実の持つ無力さに絶望するのに、そう時間はかからなかった。

これを読んで「たかが痴漢や露出狂ごとき」と思う人もいるだろう。その通りだ、痴漢も、露出狂も、毎日毎日何百人もの女の子が巻き込まれている、女の子にとってはいわば日常茶飯事な出来事である。しかし、どんなに小さな体験でも、わたしの中にしっかりと恐怖の種を蒔くには十分な体験だった。その種は日々少しずつ栄養分を与えられ、わたしの中ですくすくと育つ。露出狂の被害にあってからもう8年が経つが、未だにその道の前は歩けなくて親に迎えにきてもらうし、その場所で不審者に遭遇する夢をたまに見る。そして、そのように恐怖の樹の落とす暗い影に怯えるのは、おそらくわたしだけでは無いはずだ。ましてやもっと深刻な性犯罪がいかに心に傷を残すかについては、言うまでもない。

「女の子」を期待されるのが嫌で私は髪を切った

大学に入ると今度は、また別の形で社会の女性軽視を痛感することとなった。体育会系の部活の大会で、女子はお茶出し係だったこと。マネージャーは女子がやること。お笑いサークルで、女子は裏方に徹していたこと。面白いことを言うと、「女の子なんだから」と注意されること。「女子力」なんてものさしで、暴力的なまでに簡単にジャッジされてしまうこと。「アプローチ」と称して、セクハラまがいの発言をされること。華扱いの裏には、軽蔑が潜んでいる場合があるということ。

それらに違和感を覚えて仕方がなかった。けれど、口に出しても何も変わらなかった。いや、本当は、怖くて口にすら出せなかった。「女らしくないおまえはダメだ」と、よく周囲の男の子たちは言った。否定されることに疲れたわたしは、社会に疑問を抱いてしまう自分がいけないのだ、と言い聞かせ、どんどん自分の心をすり減らしていった。女の子、を期待されるのが嫌で、髪の毛をばっさりと切った。

ジュネーブのトイレには「女性よ、立ち上がれ!」

転機は、昨年留学したジュネーブで訪れた。スイスはヨーロッパのなかでは保守だと言われているが、それでも日本よりもずっとフェミニズムは進歩していた。女子トイレには「女性よ、立ち上がれ!」という趣旨の落書きがあったり、頻繁にフェミニズムについての講演会が開かれていたり、女性の権利向上のためのストライキが国を挙げて開催されていたりした。それゆえにどの学生もフェミニズムについて身近なものとして考えており、わたしの経験したあらゆる理不尽に対して本気で怒ってくれた。おかしいことはおかしいと声をあげていいのだ、と気がついたわたしは、水底から初めて水面へ浮かび上がり、胸の奥まで深く深く酸素を吸えるようになった。水面に反射する光が、途方もなく綺麗だった。

日本にも#metooのムーブメントが広まった

そしてちょうどその頃、日本も変革の時代を迎えていた。Twitterで痴漢について議論されることが増え、伊藤詩織さんの告白を機に#metooのムーブメントが広まり、フラワーデモも開催されるようになった。大学の入学式で女性の権利について語られたり、映画に自然とフェミニズムの観点が盛り込まれたり、フェミニズムは以前よりも私たちのそばに自然と寄り添うものとなった。

一歩も踏み出せず燻っていた時代を思うと、この一歩は本当に大きい。だから、もう一歩、みんなで頑張って前進したい。まずはわたしが、きちんと周囲の友人に話すところから始めたい。一人歩きしてしまっている「フェミニズム」の言葉の意味を訂正し、性犯罪や女の子らしさに苦しむ子達の呪いを少しでも解きたい。あなたは何も悪くないんだよ、自分を否定しないで、と。そして、もっとたくさん勉強して、本を読んで、文章を書いて、戦っていきたい。敵はもちろん男性ではなく、社会の構造そのものだ。

未来において、性犯罪の無罪判決なんて一件もないように。女性専用車なんてなくても、安心して電車に乗れるように。女だという理由だけで、試験の点数を減らされたり、就職活動で落とされるなんてことがないように。「女だから」「女なのに」なんて言葉が、傷つく文脈で使われることのないように。同時に男の人も「男だから」「男なのに」と縛られ苦しむことのないように。

そして、この記事を読む5年後の女の子が、「昔ってこんなに酷かったの…?!」と唖然としているように。10年後にこの記事を読む女の子は、「痴漢って何?」と疑問に思っているように。そんな祈りを込めて、そして、そんな未来を作るための決意を綴じ込めて、このエッセイを終わらせる。

ペンネーム:沙波 Sawa

フランス語と文学理論を学ぶ大学生。7月までスイスのジュネーブに留学していました。本と映画と美術館とミュージカルが好き。
Twitter:@sawawa_ch7

10月11日は国際ガールズ・デー エッセイ募集中

「女の子らしく」「女の子なんだから」……小さな頃から女性が受けてきたさまざまな社会的制約。ジェンダーに関わらず、生きやすい社会を実現していこうと、「かがみよかがみ」では、10月11日の国際ガールズ・デーにあわせ、「#5年後の女の子たちへ」をテーマとしたエッセイを募集しています。ステキなエッセイを書いてくださった方は、フェミニズムの第一人者である上野千鶴子・東大名誉教授にインタビューする企画(10月中旬、都内で開催予定)に参加することができます。この企画に参加希望の方のエッセイ締め切りは10月6日までです。