「学歴コンプレックスがあるの」と言うと「はあ?」と言われてしまう。私は旧帝でないにしろ国立大学の理学部を出ている。相対的に見れば誇っていい学歴かもしれない。
誇っていいと何度言われたかわからない。それでももっと上に行きたくなるのだ。

例えば東大を出れば学歴について自信が持てたのか、と言われればそれはわからない。それならそれで、ハーバード大学に行けたらよかったとか言い出すかもしれない。その可能性は高い。

私はいつも上ばかり見てきた。高校生のときも第一志望を諦めたことをずっと気に病んで、通っている高校で気に入らないことがあれば全部、第一志望の高校でないことのせいにした。

高校の校風と私が合っていなかったことは否定しない。通っていた様子が楽しくなさそうだったとは親にも言われた。楽しむために高校に行っているんじゃない、大学に行くための通過点だから。そんなことを思っていた。同じ学費をかけるなら、楽しんだ方が得なのにそういうことにも気づかない学生だった。

大学は楽しかった。大好きだった。なのに

大学に入ったら、はじめて学校が楽しかった。はじめてどこかへ行くための通過点ではなく、ただ学校を楽しんだ。最後の1年は体調を崩してしまって低空飛行で卒業したけれど、総合的に見ればいい学生生活だった。あの頃に戻りたいと素直に思えるし、あれが終わらない物語であってくれたらとも思う。それくらい、私はあの大学が好きだった。
そんなに好きなのに、それでも、学歴コンプレックスが、ある。

学歴にこだわっているのは、旧帝のどこかに行きたかったというのもあるにはあるが、それよりも、大学院に、修士課程に落ちたことがつらい。

スタートラインにすら立っていない

私がなりたい研究者の世界というのは、修士は当たり前で博士を出てようやくスタートラインに立てる。そんな世界だ。
理系は半数が大学院に進学するといわれているし、研究室の先輩は当たり前のように大学院生だった。そのなかでもとても優秀な才能ある先輩が博士課程に進学した。
そういう環境だったから余計に上ばかりを見た。先輩のように、大学院で研究を続けたかった。しかし低空飛行の1年だったこともあり、大学院入試に落ちた。研究者としてのキャリアでスタートからつまずいている。

本当に、上を見すぎて首が痛い。なのでまず目の前のことを一つ一つやっていくことで前を見ようと思う。大学院入試に再挑戦すると決めたのだから、そのための英語と専攻の勉強をしっかりやろう。