はじまりは、11歳のころ。家族写真のアルバムを眺めていたときだった。
乳飲み子だった私を写した、少し色褪せた写真。
よちよち歩きができるようになった頃の、まだ言葉も発さないような幼い私の写真。
幼稚園の遊具で遊びながらカメラへ顔を向けている私の笑顔を撮った写真。
それらを眺めながら、母が私にこう言った。
「ほんと、お相撲さんみたいだよね~」
「お姉ちゃんとは大違い」
「たいがいの子供はかわいいのにねえ」
はたから見れば、それは「親子で家族写真を眺めながら、あれこれとオチのない話をしている、穏やかな光景」だったかもしれない。
しかし私の心を鋭く切り裂いた言葉は、驚くほどに悪意のない、純粋な「母の思ったこと」だけで構成されていた。私はそのことを感じ取ったがゆえに、何も抗議ができなかった。
親からの、悪意のない「けなし言葉」。それは、11歳の私には、手に負える代物ではなかった。
私は自ら母の「感情のゴミ箱」になった
そして母は、ここからエスカレートしていく。
朝早くから夜遅くまで接客業務をこなし、20時前に帰宅することはまずない母。もう思い出せないくらいの昔から、父とは冷え切っていた。「かわいそう」だと思った。孤独な母への同情だけがあった。私は、自ら母の「感情のゴミ箱」になろうと決意した。
ふざけた調子のけなし言葉に、やがて明確な悪意が混じるようになった。
「その表情がお父さんと似ていて嫌い」
「お箸の持ち方がお父さんと似ていて気持ち悪い」
「本当にお姉ちゃんと違ってブサイクだよねえ」
母は、父へぶつけられない不満を、私という「ゴミ箱」に投げつけるようになった。
罵倒には憎しみさえ感じ取れるようになった。おそらく母は私のことが嫌いなのだろう、と思った。別にかまわない。衣食住に影響はないし。
私は全ての感情を捨てた
私のほうは、全くと言っていいほど傷つかないようになっていた。
11歳の小学生も、歳月を経れば16歳の高校生になる。
その頃には母からあらゆる種類のハラスメント──胸や尻を触るなどの性的加害や、人格を否定する言葉を投げつけられるモラハラ──まで受けるようになっていたが、母がどれだけ弱い人か分かってしまった私には、母から「感情のゴミ箱」を取り上げることがどうにも忍びなく、ただ罵倒を甘受していた。
16歳という「大人」なら、この程度は風のように流して当然だ、とも思っていた。
だけど、人は「負の感情だけ」をくりぬいて、麻痺させることはできないようだ。傷つかないように傷つかないようにと、感情を削ぎ落していけば、「楽しい」も「嬉しい」も感じ取れなくなるのだ。16歳にして私は、希望も絶望も捨て去っていた。恋をする同世代の気持ちなど、分かろうはずがない。自然と友人も減っていった。
自ら檻に入っていったかつての私へ
10年たった現在も、相変わらず母は私の外見にあれこれと口を出す。
太っただの痩せただの、肌がどうだの髪がどうだの。
私は母の言葉に力がないことを知っている。言霊とは、受け止める者がいなければ機能しないものなのだ。私が母の言葉を真に受けないから、母の罵倒は何の力も持たず、私を縛りつけることもできない。信じる者は呪われよ。私はそのことに、もう気がついている。
私は「母の子供」ではなく、名前のある一人の人間である。
自ら進んで檻の中に入っていたかつての子供を、私はまた自力で外へ連れ出した。
きっかけは、Twitterのフォロワーさんが「街コン」という言葉をつぶやいていたことだ。私は「出会いがないなら、出会う機会を作ろう。出会える場所に行こう」と思い立ち、人生で初めての街コンに一人で参加した。
一度でいいから、世界にある美しいものを眺めてみてくれ。知ろうとしてくれ。
内心でひっそりそう願いながら。
そうして私は一人気ままに街コンへ繰り出した先で出会い、自分で選んだ人と、もうすぐ晴れの式を挙げる。
婚約者は、私の家族たちとは違い、いつも穏やかで、けれど自分の意見はしっかり持っている人だ。
婚約者と接していると、感情のジェットコースターに乗せられているかのような感覚がない。それは私にとって、生まれて初めて手に入れた穏やかな人間関係だ。
私の心の一部は、確かに永遠に死んだのだ。檻の中で。生まれ落ちた家の中で。
愛する人には全ての事情を話さなくてもかまわないと思っている。
陰惨な記憶が詰まったパンドラの箱は、そっと私一人で抱えていこう。
パンドラの箱は、私の心の中で、存在することを許されたがっているのだから。
陰惨な半生をなかったことにはできない。
けれど、悲しい記憶を抱えたままでも、春には春の花が咲き、秋には秋の月が輝く。
世界にある美しいものを眺めてみてくれ。一度でいいから知ってくれ。
私はそうやって生きていく。
ペンネーム:橋口泉
在宅ライター。発達障害の当事者で児童虐待サバイバー。
本が大好きでブックキュレーション(個人への書籍紹介)プロジェクトを始めました。詳細はツイッターのDMまでどうぞ。
Twitter:@Hasiguti_Izumi