私は今年の1月に成人式を迎えた。まだコロナウイルスが日本に存在していないときである。
そのあと、高校の同窓会に出席した。そこで、沸々と沸き起こった自分のコンプレックスと再び向き合わなければならないことを、まだ1年前は知らなかったはずだ。
入学したのは試験の下見で存在を知った大学、興味のない学科
私は高校を卒業した後、一年間の浪人生活を経験した。高校は都内でも有数の進学校だったが、三年間、まともに勉強しておらず、生徒会、部活、更には受験生の天王山である夏休みを文化祭の準備に捧げた。当然、成績も短期間で上げることもできず、周りも浪人する気満々だったのでその流れに乗って浪人した、という進学校あるあるだ。
私は浪人生活が始まって以来、生まれ変わったかの如く毎日勉強に明け暮れた。そのおかげで模試の度に成績が上がり、予備校のチューターからも心配することはない、と言われた。しかし、当日の精神的なプレッシャーに押し潰され、受験結果は悲惨だった。結局入学したのはセンター試験の下見で初めて存在を知った大学、興味のない学科である。
ところが、大学に入ってから、私と似たような境遇の友人がたくさんできた。お互いに思ってもいないところに来たわけだからまあ話が合う合う。そして社会勉強としてバイトも始めたりなど、私自身もこの環境にとりあえずは満足していった。だが、やっぱりふと私は今何やってるんだろう…と胸が変にグーっと握られる感じがあった。
どうして自分のコンプレックスをまた思い出さなきゃいけないんだ
そして迎えた成人式の後の同窓会。当然、周りは現役ではもちろん、浪人してもしっかり結果を出して超有名大学に通っている人ばかりだ。その人たちの普段の生活を聞くと、サークル楽しい、とか趣味でお金が飛ぶよーとか、自分のやりたい勉強を大学で勉強しているらしい。
そして久しぶりに会った先生に何も報告をしていなかったので、どこへ通っているのかを報告すると、「まあそんなもんか」みたいな顔をされ、有名大学に通う友達が報告すると「お、さすが~」と言ってきたのである。反応しづらいのはわかる、微妙な大学だし。しかし今思い出しても悔しい。
その後、クラスの二次会に少し出て、明日の授業でテストがあったため、早退した。
その帰り道である。一緒に帰った親友と別れ、一人最寄り駅から自転車で帰り、この日の同窓会を色々思い出した。
高校時代はまだ垢抜けていなかった同級生が、パーティードレスに身を包んでとてもキラキラしていた。そして生活も充実していそうだった。私、どうして滑り止めの滑り止めの大学で、やりたくもない勉強のテストのために家に帰ろうとしているのだ。どうして、親に必死に頼んで浪人して、追い詰めて勉強したのに結果を出せなかったのか。どうして、私はここに来てまで抑えていた自分のコンプレックスをまた思い出さなきゃいけないんだ。
私は家に帰ってつい親の前で号泣してしまった。いつもよりちょっと派手にしたメイクがぐちゃぐちゃになった。今回のこの同窓会によって、今までにない悔しさが私の胸を圧迫した。自分がこのコンプレックスを克服しない限り、もう二度と同窓会には出席してたまるか。
私が今回感じたものは学歴コンプレックスである。しかし、このコンプレックスが派生して、そこまで充実していない日常に対するコンプレックスまでも感じてしまった。周りの同窓生は有名大学に通い、自分の好きな勉強をしているのだから、きっと毎日が勉強以外のところでも充実しているのだろう、という偏見のせいだろう。
キラキラした話を聞いて落ち込んでいるのは君だけじゃないんだよ
きっと、同窓会で旧友との会話によってなんで自分はこんなにダメなんだろう…と落ち込む人もきっと多いはずである。同窓会という、特別な場だけではない。普段から見るインスタなどのSNSを見て辛く思ってしまう人も多いだろう。ディズニーでミッキーのカチューシャを2つ、シンデレラ城をバックに、彼氏と行ってきた!と言わんばかりの写真とか。
私が今回、このエッセイを書いたのは、そんな他の人のキラキラした話を聞いて落ち込んでいるのは君だけじゃないんだよ、ということを伝えたかったのだ。
どうか、劣等感は持たないでほしい。君が見ていたのは、その人のキラキラした一面なだけあって、その人は普段はだらしなく、家で鼻くそほじってインスタ見て、同じように落ち込んでいるのかもしれないし。