2年の新学期からの成績開示と、研究室配属。私の成績はとてもじゃないが大っぴらにできたものではなく、「普通」と「さぼりすぎ」のちょうど中間ぐらいのものだった。毎日のように遅刻や欠席をして、毎日のように飲み歩いたりバイトに行ったりしていたので、薄々そんな気はしていた。「この感じだと研究室も第6希望とか、そんな感じかもなあ」などとぼんやりした頭で考えていた。

それから2、3日して、件の研究室発表の報せが来た。奇跡的にも、私の配属は第3希望ぐらいで踏みとどまっていた。当たり前だが、志望順位はそのまま「私にとってどれだけ興味があるか・学びがありそうか」の順位でもあるので、まだ学びがありそうだと思えるラインで滑り止まっていて、そこには心底ホッとした。

私と同類だと思っていた人が優秀な研究室に入っていた

けれど、他の人の配属を見ていたら、ある一人の名前が目に留まった。
大学に入学してすぐのころ、酔った勢いで若干の性的接触があった男の子の名前だ。二人きりで話そうとするとまだ薄い膜のようなぎこちなさはあるけれども、今ではすっかり普段通りに話せるようになった人。

その人は、私の第一希望の研究室、学科の中でも目立つぐらいには勤勉で、成績の良い人たちが例年入っている研究室に配属されていた。
その人は、先輩とセフレ関係にあるなんて話を私に打ち明けてきたり、酒浸りの生活を送っていたりと、とても褒められた生活をしている人ではなかった。有り体に言えば、私と同類だと思っていたのだ。

名簿は何も語らない。生徒の名前と、研究室名の表にすぎない。
だけど、私は確かに、「俺がお前と同類なわけがないだろ」というメッセージを受け取った気がして、そして、劣等感と嫉妬、恥じらいがぐるぐると体内を巡っていった。
「同類に裏切られた」と、そう思った。

飲み代に圧迫されて、好きなことにお金を使えていなかった

酒浸りのあの人と、私は、何が違ったんだろう。
彼に負けたのが悔しくて、私にないものを持っていることが羨ましくて、何を変えればいいのかを真剣に考えた。

あの人は、私と同じぐらいにだらしない(と思われる)生活をしていても、最低限、遅刻は何度かしていたにしろ授業には出ていた。
私の家と大学はドアツードアで1時間半ぐらいはかかる。飲み会のあと、終電に乗れたところで帰宅時刻は2時近く。そこから急いで寝ても、翌日起きられないのは当たり前だ。

まずは夜遅くまで出歩かないようにしよう。バイトを夜10時までのシフトから、夜8時までに変更してもらおう。それに、翌日午前中に授業があるときは、飲みには行かないようにしよう。1回飲みを断るだけで、確実に3千円は浮くんだから、それでまた別のことにお金を使おう、と考えて、そして気づいた。

何となく決まったメンバーで、適当な店に入って、うまくもまずくもないつまみと酒に相場ぐらいの金額を払って、何となく皆で盛り上がって終電で帰ったり友達の家に泊まったりするその時間で、何も得られていないこと、その時間の何も覚えていないことに。

そして、また気づいた。飲み代や食事代に圧迫されて、高校までは大好きだったイラストや、本、それに大学入学してすぐのころに思い描いていた資格試験の勉強や自宅の部屋のカーテンの新調、ジム通い、それに最近興味のあるサプリメントや電子書籍リーダー、新しい服や化粧品、そういうものに一切お金を使えていないことに。

去年飲みに行くのがあと3回少なければ、資格用のテキストと検定料は出せていたし、1回分ですらデパコスに手が届く。6回我慢できていたら電子書籍リーダーだって買えていた。何より、バイトを始めて1年が経とうとしているけれど、いまだに私の貯金はゼロだ。

自分の暮らしのクオリティを上げるためにお金を使いたい

欲しいものリストを更新するだけで、広告を見るだけで、Twitterでレビューを見るだけで、インスタでいいねを押すだけで満足してしまっていた。
害しかない飲み代のために、それ以外の消費行動が何もかもしぼんでしまっていた。

おととい、3月分の給料が振り込まれた。新しいアイライナーと、気になっていたサプリメントと、木製のハンガー、バスソルトに日焼け止めスプレー、お徳用のアボカドとバニラ味の豆乳を買った。久しぶりに体感した、自分の暮らしのクオリティを自力で上げていく充足と、軽い足取り。自分の暮らしのクオリティを上げるためにお金を使うことこそが、私に足りないことだったのだと思った。

これからは、自分が輝くためにお金を使う。