「美人が憎い」と思ったことがあるか。

私は、何度もある。

きっかけは、些細な出来事の積み重ね。

美人と言われない部類の女の子なら、誰でも一度は経験したことがありそうな、どこにでもある出来事の積み重ねだ。

「うわー!顔の大きさが〇〇ちゃんと全然違うね(笑)」
…仲間内の露骨な比較で傷ついた日。

「うちらみたいなのと違って、〇〇ちゃんは本当に美人でスタイル良いよね〜」
…巻き込まれ自虐に傷ついた日。

同性はシビアだ。

ちょっとした時の言葉や態度から、「この子を可愛いと思っているかどうか」瞬時に分かってしまう。

自分より可愛いと思っていない子に対して、見下しの感情が漂っていることに気づいてしまうのは、私自身もそういうジャッジを無意識に下してしまっていたからかもしれない。

そして、異性もシビアだ。

可愛い女の子と、そうでない子に対する態度の違いが露骨すぎる男は、年齢問わず
いつでもどこでも一定数、生息していた。

「ルックスが残念だからかな(笑)」
…ある中年男性教員からの一言。

中学校時代。部活動の選手選考会で、トップ圏内の記録を出したのにも関わらず、レギュラーから外れてしまい、どうしても納得できずに顧問らに掛け合ったところ、一人の男性教員から言われた言葉だ。

確かに、レギュラーに選ばれた子は全員、私より可愛かった気がする。

「この中だったら、俺的には〇〇ちゃんがダントツで可愛い!」
…飲み会と称した品評会に傷ついた日。

もちろん、〇〇ちゃんは私じゃない。それでも笑顔を保ちながら、自虐ネタで場を盛り上げたり、空いたグラスをチャッとまとめておくのが、ピエロ役兼オカン役に課せられた私の役目だ。

美人じゃないなりに、この世界で居場所を見つけたいがために

こうして振り返ってみると、私は美人じゃないなりに、この世界で居場所を見つけたいがために、そして愛されたいがために、結構涙ぐましい努力をしてきたんだなと思う。

「数字」という、目に見えて価値が付与されるスポーツや勉強に邁進して、目に見える結果を出すことで、自分の存在価値を確かめてみたり。

人から笑ってもらえる存在になれば、美人じゃなくても愛されると信じて、無理しておちゃらけてピエロになってみたり。

さりげない気遣いができれば、たとえ美人じゃなくても、素敵な女性として認めてもらえると信じて、本や雑誌を読んで研究してみたり。

しかし、そうやって「美人じゃないからこそ、他の部分を磨かないと生きてはいけない」と頑なに信じて努力し続けた先に待っていたのは「それでも美人は強い」という、シンプルかつ残酷な現実だった。

先に挙げた中年男性教員のような、結果を出してもなお理不尽なジャッジを下す人間の存在はもちろん「自分と同じ分野で努力している美人」これもかなりの脅威だ。

その分野でのスキルが同等の場合、ルックスが良い人の方がより愛され、人気を博しやすいのは、テレビやネットでもお馴染みではないだろうか。

もちろん、人生は見た目で決まるものではない。

どんな姿形をしていようと、どんなスキルがあろうと無かろうと、自分自身の人生に満足して生きている人もいる。

結局「見た目が良いから」「スキルがあるから」といった「(〇〇な条件があるから)自分は存在価値がある」という固定観念そのものが、全ての苦しみの根っこだと気づいてはいるが、それはまた別の回でほじくり回してみたい。

ただ二十数年、この容れ物(見た目)で生きてきて思うのは、少なくとも私の目に映るこの世界においては「美人は最強」という価値観が幅を聞かせているように思える。

努力した先に美人がいて、美味しいところを持っていかれた日なんかに

だから私は、思ってしまう。
誰にも聞こえない声で、呟くこともある。

「美人が憎い」と。

美人じゃない自分は、どうやったら認められ、愛され、輝けるのかを必死に考え、試行錯誤の末、やっと自分の居場所ができそうだと安心しかけた矢先に、スキル的には自分と同等かそれ以下かもしれないが、自分よりずっと美人な子が颯爽と現れ、美味しいところを根こそぎ持っていかれた日なんかに。

悔しさのあまり、こぶしに爪が突き刺さりながらも(そんな歌詞の名曲ありますね)「その程度で持ってかれる自分の問題。まだまだ努力不足だ。ここで腐ったらダメだ。」と、さらに努力を重ね、限界まで追い込み、やがて余裕が無くなり、眉間に皺が寄り、肩は凝り固まり、ヤケ食いに走り、自己嫌悪に落ち込み、更にブスになったように見える自分を呪う日なんかに。

憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。

書き連ねてみると、なんて激しく、恐ろしく、悲しい言葉だろう。

ちなみに、この言葉は本来どういう意味だろう。

気になってきたので調べてみた。

にく・い [2] 【憎い・悪▽い】 ( 形 ) [文] ク にく・し 〔「にくむ」と同源〕

① 憎悪の感情を抱かせるさまである。  許しがたい。にくらしい。  「敵に寝返った-・い男」

② (反語的に用いて)かわいい。いとしい。  「私の心を奪った-・い人」

③ (にくく思うくらいにすばらしいの意で) 感心だ。みごとだ。あっぱれだ。 「なんとも-・い振る舞いだ」

④ 気に入らない。気にくわない。「紫のにほへる妹を-・くあらば/万葉集 21」

⑤ みにくい。見苦しい。  「これはこの比(ごろ)やうのことなり。  いと-・し/徒然 208」

Weblio辞書

なるほど… 少し腑に落ちた。

私が感じる「憎い」も、美人への強烈な憧れ(いわば愛しさ)と、美人への激しい憎悪が入り混じっているような気がする。

まさに、上述の説明でいう①④対②③のせめぎ合いといったところか。

そして、そんな感情を持つ自分自身への「憎い」は⑤がぴったりだ。

なんだかうまくできてるなあ。
日本語って面白いや。

一見、対極に見えるこれらの感情だが、「憎い」にはすべてが含まれていると思うと、なんだか安心できる。

複雑に絡み合った、相反する感情を持つことを許可してもらえたような、「そんな感情を持っていても、別に良いんだよ」と言ってもらえたような気がしてくる。

本当は誰かを憎みたくなんかない。ただ、私も美人になりたいだけ。

本当は誰かを憎みたくなんかない。

ただ、私も美人になりたいだけ。

そりゃあ、美人なりの苦労や悩みがあるかもしれないが、どのみちこの顔面でも、苦労と悩みは尽きない人生なんだから。

だったらせめて、意志や根性とは全く関係なく、ただただ勝手に与えられた、そのくせ死ぬまで代わりの効かない、自分の容れ物(見た目)くらいは、嫌いになりたくないよ。
なりたくないのに…。

どうしようもない日もある。
どうしようもなく辛くて、惨めな日は、また「美人 憎い」と呟いてしまうかもしれない。

そんな時は、また辞典を引いてみようと思う。

「憎い」には、愛がある。

それだけ何かを憎めるってことは、それだけ何かを愛せることでもあるはずだよと。

「憎い」だって、いろいろ。

いろいろあって、別に良いんだよと。