私は自己肯定感が非常に低い。
あまりの低さに自分でも呆れていた。
どうしてこんなに低いのか。

頭は悪いほうじゃない。平均よりは上だろう。
仕事もできないほうじゃない。バイト先でも信頼されている。
友達も多いほうだし、頼られる存在であることも自覚している。

でも

自分より勉強のできる人はいくらでもいる。
自分より仕事のできる人はいくらでもいる。
自分より友達も多くて愛されている人もいくらでもいる。

私の思考はいつもこう。自分なんてまだまだだと否定してしまう。

井の中の蛙にならず、謙虚なのは悪いことじゃないでしょう。
でも私の場合、自分を「謙虚」という言葉で表すのに違和感がある。
なぜ自己肯定感が低いのか、それが最近になってやっとわかった。

「ブス」だから。この言葉が私を苦しめる

私、ブスだから。自信もっちゃいけないんです。そう思い込んでいたからだ。

この世界はどうして「ブス」という容姿を否定する言葉を作ってしまったのだろう。
今でも呪いのようにこの言葉は私を苦しめている。

中学生、少しずつ異性が気になり始める時期。
でも男子から女子へのその基準は顔の可愛さにあると12歳の私はわかっていた。
そして自分がなんとなくその「可愛い」に属さないことにも気づいていた。
極めつけは正面から「ブス」と言われた苦い思い出。同級生の男子と他愛のない話をしていたとき。何とは無しに「私ブスだからさ〜」と言ったら「まぁ実際ブスだよね」と言われた。
あーやっぱり。中学生の私はひどく傷ついた。

どうしてこんな顔なの?どうして可愛いことが大事なの?
努力すれば可愛くなれるのかな?
まだ素直だった私は自分なりの努力を精一杯した。リップは必ず色付きリップ。濃いピンクじゃなくてなるべく薄付きのもの。髪の毛に気を使って、伸ばしていた前髪を切ってパッツンに。シャンプーやヘアミストを変えて、毎日ヘアケアをして、毎朝アイロンでストレートに。ストレートにするだけじゃなくて、毎日連続で同じ髪型にならないよう気をつけた。
中学生なりに肌にも気を使い、洗顔や化粧水は雑誌をたくさん読んで自分でも買えるいいものを探して。ずっと変えていなかったメガネを変えたり、コンタクトにもした。
私服も制服も、雑誌で「可愛い」着こなしを習得しようとして、「可愛い」と言われる女の子の着こなし方も真似てみた。
高い香水なんて買えなかったけど、ボディミストとかハンドクリームとか、香りの良いものを探して使った。

中学入学当時に比べたら、高校生の時なんて大分垢抜けたと思う。
そう思えるくらいの努力をしたはずだった。

でもまた「ブス」と言われた。

高校生のときだった。教室で男子二人が私の近くで話していた。
何かの点数の話をしていて、なんだろうと思っていたけれど、どうやらクラスの女の子の誰が可愛くて何点か、という話をしていたようで。
あ、今この人私を指差してるぞ、と思ったとき、「こいつは論外、ブス」と言った。

努力の甲斐なく依然自分はブスだった。
きっと言った人はそんなこと忘れているのだろう。
でも私の心には刺さり続けている。

私の努力は無駄。ブスはずっとブスのまま

高校生の自分には耐えられなかった。
努力すればいいなんて簡単に言ってほしくない。
ここは眼鏡を外しただけでモテ始める少女漫画の世界ではない。
苦い、苦い現実だ。

私の努力は無駄だった。
だから自分の努力を認めてもしょうがない。
いや、努力なんて最初からしてなかったのではないか?
ただの自己満足に浸っていただけなのではないか?
ブスはずっとブスのまま。
ブスなだけでどんなことも評価に値しない。
自信なんて持っちゃだめ。
だってブスだもん。

卑屈な考え方だと思いますか?
でも「ブス」という言葉にはそれだけの威力があったのです。
何事においても自分は「ブスだから」、と言い聞かせるようになった。

「ブスだから」勉強できても仕方ない。
片思いが実らないのは「ブスだから」。
お付き合いして大事にしてもらえないのは私が「ブスだから」。
今この人が私と目を合わせないのは私が「ブスだから」。
「ブスだから」着飾った自分は人を不快にする。

無意識のうちにこの思考がこびりついていたけれど、普通のことだと思っていた。
でも異常なのだと友達との会話の中で気づいた。

なんでこんなに自己肯定感が低いんだろう

つい最近、友達に「なんでそんなに自己肯定感低いの?自信持って良い人だよね?」と聞かれた。いつもより真面目に考えてみた。

上には上がいると思っているから自分が何かにおいてすごいとは思わない。
でも極端に自分をバカと思ったことも、何もできないと思ったこともない。
更にいえば人並みにはなんでもできる。ただ秀でたものがない器用貧乏。
捉え方を変えれば自分に厳しくて、自分を認めてあげるハードルが高すぎる。

…あれ、なんで自分をこんなに認めてあげられないんだっけ。
うーん。やっぱりわからない。とにかく自己肯定感は低い。

あ、私自分の容姿嫌いだわ。
考えて出た言葉は
「私ブスだから、自信持っちゃだめだと思ってるかな。基本的にいつも『この人私のことブスだと思ってるんだろうなー』って思っちゃうよね」だった。
その友達は「私は自分の容姿特別好きじゃないけどそこまでは思わないよ。なんで?」とまた聞き返してきた。

え?またなんで?
自分の容姿が好きじゃない人は皆そう思うのだと思っていた。
無意識に、常に私は「自分はブス」「ブスだから」という概念に付きまとわれていた。
友達に「どうしてそんな考え方なの?」と言われて初めて「自分はブスだ」と暗示をかけていることに気づいた。
誰と話すにも何をするにも、「ブス」という言葉に悪い意味で執着していた。
しかもそれも異常なまでに。
私の自己肯定感の低さはとにかくこの「ブス」という言葉に集約されていたのだ。

「えっと、私がこんなに自分のことブスって思うようになったのは…」
そうして思い出された中高時代の記憶は、確実に私の中に傷を残していたことにも気づいた。

「ブス」だから取っ払ってみると

自己肯定感は高いほうがいい。
低くなった原因に気づいたからにはどうにか更生しようと試みている。

例えば道を歩いていて、偶然前から歩いてきた男の人と目が合ったとする。
前までの私は「ブスと思われた」と思って瞬時に目を逸らしていた。
最近逸らさないようにしてみている。
そうしたらこの間、知らない男子高校生(男子大学生?)と無意味に歩きながら見つめ合い、終いには笑いながら手を振られた。
全く訳のわからないエピソードだったけどとりあえず私も手を振り返してみた。
「ブスだから」を取っ払った行動は思いがけず私に笑いをもたらしてくれた。

なんて言いながら、すぐに「ブスだから」思考は戻ってくる。
きっと違う精神状態の時にあの男子高校生に会っていたら「ブスだから笑われた?ちょろいと思われた?」と思っていたかもしれない。

自分の努力を認めてあげたい

でも気づきは有意義だ。
根本の思考は変わっていなくても、とる行動は少しずつ変えられるようになってきた。
確実に自分の人生を豊かにしているとも思う。
だから今は自分の努力を少なからず認めてあげられている。

なんて自分はめんどくさいのだとも思う。
でもやっとそのめんどくささが、たった二文字の言葉に縛り付けられていたからという事実に気づけた。
このままずっとめんどくさいかもしれないけど、気づかなかった時より未来は明るいでしょう。

多分ね。

ペンネーム:ルッカちゃん

イタリアにルッカという街があるそうなのでいつか行ってみたいです。第二外国語はフランス語取ってましたがね。