大学進学で初対面の人ばかり。左利きを珍しがられ、感じるとまどい

2018年4月、私は大学生になった。初めての一人暮らし、東京の大学。なにもかもが新しかった。ここにはこれまでの私を知っている人はいない。高校までは、全員が完全に初対面でなかったのに、大学は全員が完全に初対面であるのだ。そこで私はコンプレックスに気づくことになった。
私は左利きである。普段から初対面に人には「mononoさんって左利きなんだね!」と珍しがられる。それが何なんだろう。左利きであることはダメなことなんだろうか。それを善意と思い指摘しているのだろうか。言われる度にこのような疑問が浮かぶ。そしてこのコンプレックスは私の中で高まっていった。

左利きならではの悩み。日々心掛けている配慮

世の中のほとんどの人が右利きであり、設備の多くが右利きように作られている。意外と知らないかもしれないが、自動改札機の券を入れるところが右にあること。正直言ってもう慣れたが、左手でICカードを持って右側にタッチするというクロス状態に毎回なっているのだ。ほかにも、スープバーなどのレードル、はさみなどは地味に辛い。さらに文字を書くと手が汚れるのも最近の悩みどころだ。そんなに右利き用のアイテムが溢れているから、大半の人が左利きを珍しく思うのだろうが。

私は普段の生活で、一つ心掛けていることがある。それは人と隣で食事するときのことだ。
大半の人が右利きのため自分が左側に座らないと腕がぶつかってしまうのだ。その時私は必ずこう言う。
「腕がぶつかるから、左側に座ってもいいですか?」もしそれができないならば、
「腕ぶつかってしまったらごめんなさい」と。
それを言われた人は快く「いいですよ」とか「気にしませんよ」とか言ってくれるけど、そこでも「左利きなんですね」っていう人もいる。もちろんそう言う人のことを悪く言っているのではないが、わざわざそれを突っ込まないといけないのかとは思う。

また、私はとっさに左と右を判断することができない。調べてみたところ左利きの人はそういう傾向があるという。それをなぜできないのかと疑 問に思う人はいると思う。しかし私にもよくわからない。ここで困るのは道をきかれたときのことだ、私は手をめちゃくちゃ使って案内し、最後にはわかってくれたかな…と不安になるのがお決まりのパターンだ。

左利きはダメなこと?多くの不便は感じるが、自分らしさの一部である

しかし、上でもふれたように左利きはダメなことなのであろうか。おそらく、人によっては左利きを右利きに矯正させられた人もいるだろう。それはなぜ挙行されているのだろうか。世界のシステムが固定観念のもとになりたっているのだろう、そのことについて私はこう考える。つまり、世界は右利きの人に有利であることを根底としているのだ。。しかし無理に矯正をすると巧く行きづらいため、その人は自己否定を感じざるを得なくなる。それではその人らしさは失われ、さらに左利きを珍しがる声も大きくなるだろう。そして指摘を受け、自分が左利きであることに疑問を持つようになるという悪循環に陥るのだ。幸い私は特に矯正をさせられたわけでなく、こうして左利きの人として生きている。多くの不便は感じるが、自分らしさの一部である。もしこれから自分の子供ができたとしたら自分らしさを大切にした子育てをしたい。
そんなこんなで、些細なことであるがこうして自分らしいところを守って生きている。
様々な悩みはあるもののそれをこれから変えていけばいい。