おうちだからこそ、夢が動き出した。

吾輩はニートである、名前はまだない。・・・と冗談はさておき、私は恥ずかしながら、定職についていない。自分でも最低だと思う気持ちはあり、今はとりあえずフリーターとしてでも働こうと自宅で毎日求人サイトをみるためにパソコンを触る。
しかし、簡単に見つかるものではない。なかなか自分に合う求人がなくてうなだれる、そしてパソコンをカタカタ。夢も希望もない、そんな毎日を送っていた。

自分の本当にやりたいことは何なのだろうか

ある日、いつものようにパソコンに向かっていると、ある公募サイトが目に飛び込んできた。
“これはいったいなんだ?”
そこには様々な公募の情報が載せられていた。ネーミング、標語、小説、エッセイなどの応募情報が書いてある。興味が湧き、こういうのもあるんだな。とは思ったりもしたが、その日はそっとパソコンを閉じた。

ベッドに寝ころびながら、自分の本当にやりたいことは何なのだろうかと自問自答してみた。私は一般企業のOLには向いていないと思う。だからと言って、手が器用でもないのでアート系の仕事には向いていない。技術職にも向いていない。そんな私には何ができるのか?本音をいうと、私は人と同じ仕事がしたくない性分なのだ。他の人と違うことを始めて、実績を積んで一人前の大人として生きてきたい。もちろん、OLや他の職業の人々を否定しているのではない。彼らも私なんかが比べ物にならないくらいに立派に生きており、定職についていない私が比較に出すことすらおこがましい。わがままな私にはいったい何が向いているのだろうか?私はこのまま何もせずにただ親に迷惑をかけて死んでいくのか?そんなことを思いながら、寝てしまった。

キャッチコピーの応募が、運命の別れ道だった

だがある日、家でボーっとしていると、ふとあの公募サイトのことを思い出した。暇だしやってみるのも良いかなと一つ応募してみることにした。
これが運命の分かれ道だった。

そのキャッチコピーの公募に応募した後、文を考えるのがなんだかとても楽しかったことに気づいた。これは私にも意外だったが、楽しかったのだ。翌日、またパソコンを触ったが、いつものように求人情報を見るだけではなかった。一通り求人情報を見た後、私は昨日とは違うキャッチコピーの文を考えることにした。何が良いかな?どんなものだと人々の目に留まるだろうか?そんなことを考えていると、やはり楽しいのだ。ワクワクが止まらなくて、ワードに文字が起こされる。考え、編集し、また文字が起こされる。

さらに、私は他にも何か文を考えることができないかと公募サイトを見ているうちに、あるエッセイの応募に辿り着いた。そう、実はお家でパソコンを見ているうちに“かがみよかがみ”に辿り着いたのである。お題に沿って実体験を元に文を構築していくのがこれもまた興味深い。そこからキャッチコピーだけではなく、エッセイも作成し始めた。そんなことを繰り返していく旅に、抱いていた思いが徐々に鮮明になり始めた。

おうちでのルーティーンが、わたしの夢に繋がった

わたしはこういうものを求めていたのではないか?
職を探し、だらけた毎日を送る私に突如舞い降りてきた刺激。今まで夢も希望もなかった私に出てきた興味。おうちでのルーティンが、わたしの夢に繋がった。近い将来には広告代理店に勤め、いずれ独立も考えている。しかしこの夢は、もちろん簡単なものではない。これから先の道のりは決して平たんなではないだろう。どんな壁が待ち受けていることか予想もできない。

だが私は向かっていくしかない。壁を乗り越え、道の先にあるものを求めて走り続けなければならない。人とは違うことがしたいと宣言したならば、それ相応の努力が必要だ。そのためには勉強も必要だ。本を読み、見識を広める必要がある。幸い、私にはまだ家で読書にふける時間がある。

今なら言える。私はコピーライター、コラムニスト志望だ。そして、夢の実現に向けて日々公募と勉強に勤しむことに精を出す今だけのニートである。