夏は戦いの季節だ。

ライバルは彼を狙っているあの子でも試合相手でも分厚い参考書でもない。

私のライバルは太陽である。

-半袖など愚問だ-

呪文のように言い聞かせた。

開放的であるはずの夏が私を窮屈にさせる。

日焼け防止サプリメント、塗る日焼け止め、クリアレンズのサングラス、日傘、メラニンに効く基礎化粧品、そしてカーディガン …

このお守りセットがなければ外に出るのも悍しい。

陽射しを両手いっぱい広げて抱く青々とした葉を羨ましく思うようになったのはいつからだろう。

人間も日光がご飯ならいいのに。

青春の代償として浴び続けてきた紫外線

私が大学生になると待ってましたと言わんばかりに"紫外線"というワードが脳内を占拠した。

というのも高校時代は野球部のマネージャーをしており、「日に焼けちゃう」と太陽に文句を垂れる余裕もなかったのだ。

顔に塗った日焼け止めは5分足らずで汗でどろどろに溶け、塗り直す暇はないし、
ジャグを作るから腕に日焼け止めも塗れない(米俵サイズのタンクにスポーツドリンクの素や麦茶のパックを入れ、腕を突っ込み、混ぜるのだ)

だから夏の私は冗談抜きでかりんとうにそっくりだった。

試合のある土日はじっと座ってスコアをつけるものだから決まって南側に置かれた右(左)半身だけが紫外線に苛められ、左右で見事なグラデーションを描いたりもした。

そして引退後、友人が見せてくれたある写真が強迫的に私の脳裏に焼き付き、紫外線対策に目覚めた。

それは海外の長距離トラックの運転手の顔写真で、
彼は車窓からの陽射しが原因となり左側だけがシミとシワで老人と化していた。

こうして私は青春の代償として貯蓄してきた老化予備軍を恨み、
周りの人の何年分もの紫外線を浴びてきたのだからせめてこれからは少しでもかりんとう時代を消し去れるように過ごそうと誓った。

紫外線対策で手に入れた白い肌。

紫外線対策を始めた動機は老化防止だったわけだが思わぬ副産物があった。

それは白い肌だ。

「色の白いは七難隠す」という言葉があるように、肌が白いことは、一種のステータスと見なされるようだ。

だから私は白い肌を褒められることが増えた。

私は人が白い肌にこだわる理由にピンとこなかったが(私は小麦色のギャルがタイプなもので)他の褒め言葉より受け取りやすく重宝した。

だって顔やスタイルを褒められたとしても「え、どこが?マウントか?ありがとうで済ませるべき?それとも遜って相手のことも褒めるべき?っていうかデリカシーもへったくれもないな。めんどくさいよ~お家帰りたい」ってなる。

それに「肌白いね」が褒め言葉になる意味が私の中ではよくわからなかったから変に考え込まずに済んだのかもしれない。

けれどたまに嫌な思いもした。

紫外線対策を念入りに行う私を見て「うわ~女子力やば。意識高いね」と小馬鹿にされたり、
"男にモテるために色白になる努力をしている女"と勝手に決めこまれ、
「男はやっぱり色白好きだよね~。だけどデートでもずっと日傘さしてるとか男子的にどうなの?」と男性にパスを送り「ちょっと引くかも。プールとか嫌がりそうだし」と急にパンチが飛んでくることもある。

そんな時はかりんとう時代の写真を見せて「この分みんなより老化が早いから今埋め合わせしてるの!」と笑いをとり、もやもやを吹き飛ばす術も身につけた。

次第に私は"肌が焼けたら私の何かが終わる"気がした

そして紫外線対策の情報をインターネットで仕入れるようになると"美白が正義"という価値観に触れる機会が増え、次第に私は"肌が焼けたら私の何かが終わる"気がした。

私は巷で話題のブルーベースではないから美白道は険しいもので以前にも増して紫外線に対して神経質になっていった。

風にそよぐカーテンから僅かに漏れる陽光が許せなかった。

陽射しの強い夏場はなるべく太陽と顔を合わせないように講義がなくても門の開く8:00に大学に到着し、日が暮れるまで図書室で時間を潰した。

休日もスーパーに行くのは日が落ちてからにした。

外で行うアルバイトでは日光アレルギーだと嘘をついて一人だけ長袖を着たり、日陰の仕事を任せてもらった。

息が詰まる。

太陽は敵だ、太陽は敵だ、太陽は敵だ、太陽は敵だ、太陽は敵だ、太陽は

糸がぷつりと切れた。

糸はいつだってこちら側が兆候に気付く間もなく切れる。

冬だろうが雪だろうが目が覚めると真っ先に日焼け止めを塗る私はその日、厭に身体が重く、ぼうっとフローリングの模様を眺めていた。

いよいよ日焼け止めを塗るのを諦めた私は眠気を覚ますために久しくカーテンをめくった。

細く差し込んだ陽射しは私の髪を甘栗色に染めた。

「きれい」

意思に反して呟いていた。

それから私はくま柄のもこもこのパジャマにNIKEのスニーカーという末恐ろしいコーディネートで近くの公園まで歩いた。

ベンチに座るその姿はリストラされたサラリーマンのように力なかったであろう。

陽光に包まれて一瞬天国に来たのかと錯覚した。

そのくらい、太陽に飢えていた。

背の高い木の若葉が陽と戯れ、揺れる木漏れ日の影が私の頬をくすぐる。

彼らもまた秋が来れば乾いた茶色に移り変わり散ってゆく。

だがそれはそれで美しいはずだ。

手のひらを太陽に透かす。

血潮が流れる。

"わあ。生きてる。こんな歌、昔よく歌ったよな"

日光はやっぱりご飯だ。人間にとっても。

太陽に苛まれていた私を慰めたのは皮肉にも太陽であった。

何事も塩梅ね。

自分を許すのは自分を戒めるよりずっと難しいけれど。

今年の夏はちょっとくらい半袖になってもいいかな。

木の芽風に吹かれた葉の擦れる音は私へのささやかな拍手のように聞こえた。