お金についての基本は、一体いつどこで誰から学ぶのだろうか。
人生において大事なことなのに、お金の使い方を具体的に学んだのかと問われると、そんな記憶は全くない。

おそらく個人のお金の価値観は、それぞれの家庭で養われていくのだろう。
金銭感覚が合わなくても、友達との付き合いにはそこまで影響はないが、恋人や結婚相手となると話が違ってくる。

私の過去の恋人は、一人残らず浪費家だった。
皆さんの恋人は浪費家だろうか、倹約家だろうか。はたまたどちらでもないのか。

嬉しいはずのプレゼント、私にとっては重荷だった

恋人と長く付き合うには、“価値観が合う”ことが大事とよく耳にするが、正直私は、誰かと付き合うとき直感で、金銭感覚や趣味などの価値観が合う合わないを気にしたことがなかった。しかし、振り返ってみると恋人と上手くいかなくなるのは、“価値観の違い”により、すべての歯車が噛み合わなくなってしまうことが原因なのだ。それは一度や二度ではなく、毎回だ。今さら気付いたのだが、やはり“価値観が合う”ということは重要そうだ。

さて、原因となる“コト”は必ず、恋人にとっての一大イベントである誕生日やクリスマスなどの記念日に起きる。私は、両親から愛情をたっぷり受けて育ち、クリスマスには大きなツリーが飾られ、起きたらプレゼントが枕元に…なんてタイプの男性になぜか惹かれてしまう。彼らが育ってきた環境は、私とは全く違うのだ。私の家庭では、親からプレゼントを貰うという習慣がない。よって、記念日に重きを置くか置かないかの違いで、私たちの関係はいとも簡単に亀裂が入ってしまう。彼らは高級レストランの食事を予約してくれ、高級なホテルの宿泊と高級なプレゼントを用意してくれる。まさに完璧な記念日だ。さすがに最初は、盛大に祝う記念日が新鮮だった。

しかし、それは徐々にお返しへの期待という暴力に変わってくる。これだけお金を使ったのだから、という暴力だ。さらに「俺がプレゼントしたんだから絶対に身につけてよ」「あげたものをSNSにのせてよ」という暴力を受け心がボコボコにされていく。
私もそこで「もうやめよう」と言えたら良かったけど、それ以上のお返しをしなければならないと、無意識に努力をしてしまっていた。そんなことを永遠に続けられるわけもなく、最終的に終止符が打たれる。

嘘を吐いてまで買った物、ほんとは欲しくなかった

浪費家の彼と付き合っているとき、私は一切の物欲がなくなってしまう。買い物に付き添うときは自分の物は絶対に買わない。欲しい物がないから買わないだけなのだが、彼らにとっては、彼女が節約することや自分だけが買っているという行為そのものが気に食わないらしい。そこまで欲しくない物を「これ可愛いー、欲しいー!」と言うと嬉しそうな顔をするので、仕方なく嘘を吐くのが癖になってしまう。さらに、その嘘に勘付かれるようになると「どうせ買わないなら言うなよ」などと言われるようになる。そうなると、私の嫌われたくないという感情が大爆発。「ほんとに欲しいもん!お会計してくるー」とたいして欲しくもない物を買ってしまう。なんだこの悪循環。買った物に対しても失礼すぎる。このエッセイを書いていると「本当に私は何をしていたんだ」と冷静になれるのだが、当時はまるっきりダメなのだ。自分が無理をしている、おかしなことをしていることに気付けないのだ。

また、彼らはとにかくお金に厳しかった。私が頑張ってお金を貯めて、やっと買えた物に対して「なんでそれ買ったの?お金、余裕あるんだね」と言われてしまうのだ。そんなこんなで、彼らと付き合っている間は、物欲が完全になくなってしまう。新しいものを買うことが怖くなり、躊躇するようになる。もうここまでくると、私のマイナス思考は止められない。「結婚するなら、絶対稼いでる女としか付き合わない」なんて言われたときは「ああ、私がもし働けない体になってしまったら捨てられちゃうんだな」と、自己肯定感の低さが丸出しな考え方になってしまう。だから「働いている現在の姿しか知らない彼らは、私にフリーターだった時期があるなんて知ったら、簡単に捨てられたりしたのかな」なんてさえ思ってしまう。フリーターだった頃の私は、夢を追うために悔しい思いをたくさんした。しかし、その時期は私にとってはなくてはならない時間だったし、大切にしたい思い出なので、彼らには打ち明けられなかった。きっと否定されてしまう気がして…。

金銭感覚とは、お金持ちか、そうでないかの単純な違いだけかと思っていたが、考え方の違いなのかもしれない。