私は、自分の恋愛観にコンプレックスを抱いていた。
自己肯定感が低く、自分が生きている意味を相手に求めてしまう私は、誰かの色に染まれば染まるほど自分が必要とされている感覚を覚えた。
つまり自分の色がなく、誰かに自分の人生を丸投げしている状態なので、愛を感じられないと不安で心が蝕まれた。
いわゆる“メンヘラ”と呼ばれる部類だった。
彼の笑顔や眼差し、そして二人の未来を純粋に信じていた自分への涙
そんな私には、つい最近別れた彼氏がいる。
自分の魂の一部のように、その人がいることで生きる理由を見つけてお互い成長し合えるようないい関係が築けていると思っていた。
別れた原因は、一言でまとめると「彼に忘れられない人がいた」なんて、ありきたりな理由。
いつか別れが訪れるときは、死ぬほど彼に縋るのではないかと思っていた。
しかし、私は意外とあっさり事実を受け入れられた。
いや、受け入れたというより、諦めるしかなかった。
もちろん、2~3日は気を緩めると涙が流れてきた。
でも、その涙は彼の笑顔や真剣な眼差し、くだらない日常や何気ない約束などの夢のように輝いていた眩しすぎる思い出や二人の永遠を純粋な気持ちで信じていた自分に対してのもので、彼への未練ではない。
誰かに必要とされたくて、本当の自分が見えなくなっていた
孤独に陥り、初めて気づく。
今の私、彼を必要としていない。
今の私、彼がいなくても生きていける。
そんなもんだったんだ。
例えるとしたら、彼と過ごした時間は娯楽と同じだ。
なくてはならない存在だと思っていたけれど、それは自分の満たされない思いを埋めるためのもので、寂しさから逃げるための手段になっていた。
新型コロナウイルスが流行し自粛生活の期間、自分と向き合い心の断捨離をしていたが、皮肉にも元彼はその対象だった。
今まで私は「依存的で、一人では生きていけない弱い女だ」と思いこんでいた。
誰かに必要とされたくて、必死に彼を求めていた。
また、確かに私には彼が必要だった。
でもそんな自分はもういなくて、本当はそんな自分を演じることで得られる誘惑に甘えていたかっただけなんだ。
彼と別れて、そういう自分から解放された気がした。
彼のことを必要ないと気づいてしまったとき、なんだか切なくなったけど、でもそれは決して彼との日々を否定しているわけではない。
むしろ、ここまで成長させてくれた彼に感謝している。ほんとに出会えてよかったとさえ思っている。
自分の色に気づく力をくれたのは、彼の存在があったから。
私はもう何ものかにならなくても大丈夫。
誰かの染める色にならなくても、自分の色だけで戦っていける。
たとえ私にとって都合のいい解釈だとしても、人はその出来事に何か意味を感じることができれば「それは無駄じゃなかった」と思い、また立ち上がれる。