転職してからというもの、毎月25日の儀式は給与明細のページを朝一でいそいそと開き、同時に別タブで「20代 女 平均年収」と検索し結果と見比べることだ。

儀式を通して、自分の選んだ道の正しさと、過去に踏みつけられてきた自分への労わりと、能力以上の対価を得た今の自分への少しの不安・プレッシャーを丁寧に確かめることができるから。

新卒で働き始めた会社の記憶

新卒で就職した会社では、月300時間ほど働いていたように記録している。
(表現の歯切れが悪いのは、会社が正確に勤怠管理ができる仕組みを持ち合わせていなかったからだ。自分が付けた日々のメモを頼りにすると、それぐらい働いていたらしい。ついでに働きすぎていたからか、たった2年前なのに記憶も断片的だ)

それでも、給与は額面で20万ほどだった。

世の中うまくできている。
それだけしか貰えていなかったのにも関わらず頻繁に「お前には感謝が足りない」「努力が足りない」と毎日のように詰められていると、ああ自分の1時間あたりの労働価値は定食屋さんの唐揚げ定食にも満たないんだなあと自然に思えるようになってくるのだ。

新卒入社して2年ほど経ったある日、社会人生活を振り返ると
睡眠障害と、極度の睡眠不足から引き起こした数回の交通事故履歴、社用車の弁償全額分の負債、それから新卒社員勤続過去記録2位(タイ)の栄冠のみだと悟ってしまう日が来てしまう。
その日から、一度死んだものだと思い、働いている時間以外の起きている時間ほぼ全てを転職活動に充てて、異業種異職種での転職を成功させた。

転職活動を経て新しい会社で働き始めて

前職の社員10名ほどのほとんどから激しく嫌われたらしいが、知ったことではない。
ほとんどの面接先で、「ウケちゃいけないけどウケるほどヤバい会社で生き残ったストレス耐性が鬼の女」という印象を与えて勝利できたのだから。

そんなこんなで転職し、働く時間は半分近くまで減り、それだけでもありがたいのに給与はかなり積み増しされた。

これが、ちゃんとした会社から貰えた自分の正当な評価だと思うと、不思議ながら喜ばしかった。
その頃から、ふと気になって同世代の平均収入を調べるようになった。
それまでは怖くて調べることも出来なかった(県の最低時給も下回っていたので調べるまでもない)。
恐る恐るページをスクロールすると、ギリギリどころか、かなり余裕を持って超えられていた。
やった!平均以上にはなれたんだ!

「給料は我慢料じゃないよ」と声をかけられて

詰められていたあの頃、自分に言い聞かせるように「給料は我慢料。仕事に性格と私情を持ち込むな」と何気なくツイートしたことがある。
すると「給料は我慢料じゃないよ」とリプライをくれたフォロワーがいた。

目から鱗だった。
その頃の私には、ろくに生活できないような微々たる金額でも、1ヶ月我慢して我慢して我慢して生き抜く度に貰える賞金のようなものだったから。

今は、比較的適性のある職を得て、ちょっぴり無理することはあっても死と隣り合わせレベルの我慢をすることはないので、我慢料という表現が不適当なのはわかるようになってきた。

給料とは何か。過去の遺物を問い直す必要があると思う。

ただ、20代女性の上位5%ほどの給与が得られるようになったのは
あの時死なずに、でも死ぬ気で耐え抜いてきたからと少しでも思ってしまう自分もいるのだ
(そしてそのストレス耐性の対価として貰えているという認識がある以上、それはほんとうに自分の業務遂行能力の対価なのか?という不安も少なからずある)。

もうそんな感傷的な平成以前時代の遺物は、自分の世代で終わらせたい。
給与というのはシンプルに、会社に利益を生むかわりに、会社が雇用を続けるのに必要だと判断した費用。以上、終了!という時代を作っていかなければいけないと思う。

ついでに、無意識に「20代 女 平均年収」と検索してしまうように、男女で稼げる額が違うと判断してしまう価値観は、自分が持つものも含めてさっさとぶち壊したい。
あるいは検索しても、男女別のデータが出てこないことに対して「まだそんなこと言ってんの?」と次の世代から軽く鼻で笑われるような時代が来ると良い。