この世の何%の人が、“痩せている is ベター″って考えているのかな。

中学生で初めてできた友達が、私のことを遠回しにぽっちゃり体型だっていじってきたことがきっかけで、自分の体が嫌になった。BMIやら体脂肪率はわからなかったけれど、体重と身長のグラフで“やせ寄りの普通”だったから、モヤモヤしつつも大丈夫だと思ってた。ぽっちゃりだと見られたのは、きっと顔のせい。丸顔で、ほっぺがあるから。当時小顔リンパマッサージなんて知らなかったし。
でも、高校生からは気にせざるを得なくなった。

せめて痩せていないと自分の価値はない

私が入ったのは、かわいい子が多い公立高校で、スカートは短くてソックスの指定はないところ。バトン部の衣装も、ものすごく短いスカートだった。メイクも上手で、個性的で話も楽しい子ばっかりだった。
“この環境では、せめて痩せていないと自分の価値はない。ゼロだ。”って直感して、とりあえず見られる部分をなんとかしたくて、脚のマッサージとくびれを作るストレッチを始めた。
半年後にはコンプレックスだった逆三角形ふくらはぎも落ち着き、くびれも出来た。

自分でも何とかできる、ということが分かったから、続いてカロリーカットに走った。
当時はお金も知識もなかったから、オリーブオイルとか、ナッツ類とかは未知の世界で、摂るべき食べ物も知らず、とにかくカロリーばっかり考えていた。家での間食は禁止、ドレッシング含む調味料は禁止、一駅歩く、とにかく思いつくことは何でもした。
みんながドリンクバーでカラフルなものを飲んでる中、野菜ジュースかハーブティーばっかりで、スタバも一人だけコーヒーだった。

気が付いたら2㎏落ちていて、そこから止められなくなった。
それが、自分を追い込み始めた大学受験と重なった。
“自分の価値は全くない”と思っていたから、分かりやすい肩書がほしい、学歴ぐらいはないと人生終わる、と本気で思い込んでいた。
偏差値30台、価値のない私がW大学に行くため、そして受験で太ったなんてことがないよう、食事制限で自分を律しながら自分を激しく責めた1年半の受験生活が始まった。

とにかく自分が大嫌いだった。チョコ買っちゃう自分も、集中できない自分も、A判定が出ない自分も、大嫌い。生理的に自分を受け付けなくなっていった。
当時の生活は、睡眠7時間、お風呂や身支度に2時間、それ以外は全て勉強、歩いている時間に朝ごはんや夜ごはん、という生活を続けた。
結果、運動なしの食事制限で7㎏落とした。
大学受験は、W大学に落ち、ワンランク下の大学に決まった。

周りから痩せたと言われても、生理が止まっても、まだまだだった

7㎏落としても、W大学じゃないなら意味がない。
それでも社会的にベターな私でいたくて、毎日900キロカロリー切ることを目標にし(推奨されている1日の摂取カロリーは約1300~1700キロカロリー)、レベルの高そうなバイトを始め、往復3時間の電車で読書に勤しみ、課外活動にも挑戦した。

痩せていること。すごい大学生でいること。
その状態で居続けるために、誰からかわからない視線を感じて、焦っていた。
私の場合は、ダイエットの延長でカロリーと食が頭の中のほとんどを占めていた。
今日は○○を食べてしまった。
いいなぁ、玄米じゃなくて私もメロンパン食べたい、ああ、いいなぁ。
明日は友達とご飯だから今日は食べちゃいけない。
4限まであって、一本遅い電車に乗ったら18時半過ぎに最寄りだから、ご飯食べる時間遅くなっちゃう、友達とゆっくり帰ってないで早く帰らなきゃ!
パスタを食べたり、ペットボトルのジュースを飲んでいる友達を見て衝撃を受けていた。

周りから痩せたと言われても、生理が止まっても、まだまだだった。
常に空腹で、体は冷えているし寝付けないし、疲れ切っているし、力が入らないし、頭も回らない。こんな体だと様々なミスが続く。自分の存在を責め、もっと嫌いになり、そしてまたカロリーを減らす。
せっかくのランチもカフェも楽しめない。友達といても楽しめない。
食べながら、このカロリーをどう戻すか、考えていておしゃべりに集中できない。

そして、水以外のものを何も摂取できなくなっていった。

“痩せてる is ベター”な社会において価値のない自分が必要だった

完全に思考を失っていたから、ちょっと緩むと歯止めが利かなくなる。
キープできなくなって1年で元に戻った。
そして、12キロ増えた。

今度の自分を痛めつける方法が、“食べる”だったから。
きっかけになったのは合宿。食事が1食700キロカロリーをオーバーしてるであろうボリュームだった。残すのは言語道断の私は、泣く泣く毎食完食した。毎食後に罪悪感に苛まれる生活が1週間続き、その感情がクセになった。体も心も悲鳴を上げていた時、食べることによる罪悪感、と知り合った。
次第に夜も炭水化物を食べるようになり、スタバの新作に手を出し、パン、スナック菓子、揚げ物、そして、無制限になった。1日で4000キロカロリー以上を摂取していた日もあったと思う。

世間はこれを、“過度なダイエットによる拒食症、その反動の過食症”というらしい。
食べて体と心を罪悪感で満たす。常態化していた”自分に価値がない”という頭の中の思いを、体に映し出す。
“痩せてる is ベター”な社会において、ベターである自分に慣れていなくて、居心地悪かった。
つまり、社会的に価値のない私に戻りたくなった。
つまり、リバウンドが必要だった。

自分の価値を見出したくて、ネガティブな感情で頑張ってきた

気が付いたら十の桁が変わっていた。
体重計の上で、ふと気が付いた。
そういえば大学受験もダイエットも“価値のない自分が嫌い”だから頑張れたこと。
その原動力は焦りとか、怒りとか、ネガティブな感情からだったこと。
でも、その裏ではきっと、社会の中で自分の価値を見出したかったんだと思う。

人間って不思議。ネガティブな理由で始めたことって、続かない。
世間的にベターなことを頑張って続けても、いつかはボロが出る。
ちょっとパリピっぽいことしたくてやったバーのバイトも、定番のオフショルや小さい斜めがけのバッグも、続かなかった。
でも、楽しくてたまらない英会話やお気に入りのサンダルはいつになっても、何があっても大好き。
意外と自分の価値は自分で得るために動くんじゃなく、後付けなのかもしれないな。

いまもダイエットしているけれど、前とはちょっと違う

いま、過去最重の体と生きていて、ダイエットしているけれど、前とはちょっと違う。
17キロ減らそうとは思っていない。ただ、自分の許容範囲の体重に戻せばいいと思ってる。強制はしてない。
どうしたらこの脂肪ちゃんとバイバイできるか、これは自分が食べたい物かどうか、っていうことを考えている。
スタバの新作のより、ハーゲンダッツの新作のほうが好き。
毎食炭水化物を食べるけど、夜は軽めにしておこっと。
録画したテレビを見ながら、マイペースに筋トレやストレッチをしてる。
いまでは食べても罪悪感はないし、心でも食べ物を味わえるってことを知った。

そんな思考がいつしか自分の行動を変えた。

自分は価値のある人間です、って言い切ることはできないけれど、これからは私にも出来ることがあるのかもしれないな。
それって、まだまだ難しい。
でも、価値があってもなくても、生きていかなきゃいけない。
食べて心身の栄養を補給して、価値あることをやっていこう。