あるところに、太っていることが悩みの女の子がいました。
女の子は筋トレをし、食事制限をし、晴れて10キロ痩せた体とくびれたウエストを手に入れることができました。さて、女の子は幸せになることができたのでしょうか?
これは私がダイエットをして、10キロ痩せた「後の」お話。
おとぎ話で言えば"めでたしめでたし"のその後だ。

痩せてみたかったから、ダイエットを始めた

そもそもなぜ10キロ痩せようと思ったのか。
理由は、とても単純で「痩せてみたかったから」。
私は人生の中で痩せている期間がほとんどない。きっと適正体重だったのは乳幼児の時くらいだろう。小学校低学年から両親が共働きになって、自宅には常に何かしら食べるものがあったし、親の目を盗む必要もない間食パラダイスがそこに広がっていた。

それでいてしっかりと給食も食べ夕食も食べていたし、まさにデブまっしぐらな生活が基本になってしまっていた。
けれど、高校生になって制服がなく私服の高校だったので、着る服を考えるため毎日鏡に向き合うことによって、自分が「人より太っている」という現実からなかなか目をそらすことができなくなってしまった。しかし、なかなか育ってきた環境から抜け出すのは難しく、家に帰れば美味しいご飯が用意されているし、買いだめのお菓子はあるし、友達とのコミュニケーションにも帰り道のアイスや肉まんやマックは欠かせなかった。

けれど、ある日ふと思った。
このまま太り続けていていいのだろうか?と。
今の生活を続けていたらきっと私は際限なく太り続けるだろう。生きている限り食欲は消えないし当時の私に向かって誰も面と向かっては「デブ」とは言わなかったからだ。ただどう考えたって私は雑誌のモデルとは違う世界の生き物だったし美容体重からはかけ離れていた。

雑誌のモデルになりたかったわけじゃないけれど、私は服が好きだった。だけど私の好きな服は大抵私のことを好きになってはくれなかった。チャックが閉まらなくなったワンピース、試着するのが怖くて案の定閉まらなかったスカートのボタン。全身鏡の前に立って好きな服を好きなように着る自分を想像した。
私、人生で一度くらい痩せた自分をみてみたい。
憧れのデニムのショートパンツを履いてみたい、一度痩せてみたら痩せた自分として生き直せるんじゃないか…。

考えだすと欲望や想像は際限なく膨らみ、
「よし、痩せてやろう」と思った。

そうして私のダイエット計画は始まった

目標は10キロ、期限は3ヶ月後に控えている大好きなアイドルのコンサートに照準を絞った。
10キロにしたのは、「10キロ痩せた」って言えば大体の人が凄いと思うだろうというよこしまな考えからだ。内容としては糖質制限と家でできる筋トレ。
ダイエット本も読み漁ったし、毎日決まったポーズで筋肉をいじめ、人生で初めてプロテインを飲んだ。最初はそんな自分を楽しめていて、減っていく体重が誇らしかった。けれど段々結果を出さなければという想いから、食べることそのものが怖くなった。ツアー中だったので目標としていたコンサートとは別に全国へ会いに行っていた大好きなアイドルにも「食べてしまった」という罪悪感から顔向けできず、空腹感で目標とは別のコンサートの内容に集中できないという始末。コンサートが終わった後に閉店間際のケーキ屋に駆け込み、夜行バスの集合所まで糖質たっぷりのチーズケーキをぼろぼろ泣きながら頬張ったことを今でも覚えている。

どんどん自分を嫌いになっていくのはなぜ

自分を好きになる為にダイエット始めたのに、どんどん自分が嫌いになってしまっていた。結果として、期限としていたコンサートには10キロ痩せた自分で参加することができた。けれど、着て行きたくて買ったお姫様みたいなピンクのワンピースには腕を通せなかった。だって、チャックが閉まらなかったから。なんとか閉まらないかとお腹を引っ込めているうちに段々笑えてきてしまった。

10キロ痩せても何も変わっていないじゃないかと。相変わらず着られない服はあるし、チャックは閉まらない。なによりも私の思考が太っている時と変わらなかったからだ。10キロ痩せても私は私のことが嫌いだった。

リバウンドしたらというよりもリバウンドしたらさらに自己嫌悪が進んでしまうと思っていた。だからこそ、せめて「10キロ痩せた」という勲章を胸に掲げることでこれ以上自分を嫌いにならないために絶対にリバウンドしないようにと思っていたのに、その後1年も経たずにあっけなくリバウンドしていた。
せっかく痩せたのにと思わなくもないし実際に言われもしたけれど、私は後悔していない。「ダイエットをして痩せている自分」よりも、「好きな人と好きなものを食べている自分」の方が圧倒的に好きだからだ。味覚も趣味も合う大好きな友達との1秒たりとも黙っていられない食事や、
恋人と一緒に食べる深夜の甘いパフェやアイス、何よりもコンサート終わりにする乾杯が私にはなくてはならないものだと気づいた。

食べることを我慢していた時より、圧倒的に幸せ

この全てを我慢していた頃は、食べることは悪だと思っていたけれど、その時よりも今の方が沢山笑っているし圧倒的に幸せと確信している。

ダイエットしていた時は「こんな自分ではダメ」「だからあれもダメ、これもダメ」と否定ばかりしていたけれど、ダイエットして自分は思っていたよりも食べる事が好きだったことを知ったし、太っていることに苦しんでいなかったことにも気づいた。
思えば、誰かに面と向かって「お前デブだな」と言われたこともない。

意識しなければ気づかないほど、私達の周りには「痩せている女性は美しい」というメッセージが溢れている。
「痩せている女性も」ではなく、「女性は美しい」でもない。
テレビの中から紙面まで、ほっそりとしたモデルや女優ばかりが溢れ、アイドルは成長期の女の子であっても太ると自覚がないと叩かれる。

痩せる為の情報は正しいものから時に体に悪影響だったり真偽のわからないものまで毎日のように現れる。鏡に映った姿をみて、勝手に誰よりも私自身が私のことを「デブだから恥ずかしい存在」だと思っていたのだ。
それに気づいた今、当時はもう二度としたくないと思っていたのに、私は最近「またダイエットしようかな」と考えている。
「やらなくては」という見えない何かに追い立てられての感情ではなく、「やりたいからやってみようかな」という緩く素直な気持ちだ。

痩せただけでは幸せになれなかったけれど、痩せたことで「本当に好きな自分」を知ることができたから。
きっと私はまた新しい自分を見つけるだろう。好きな自分ばかりじゃないかもしれないけれど、そんな自分を含めて次は自分を大切にするにはどうすればいいのか、わかるかもしれない。
そして私は私だけの「めでたしめでたし」に向かっていきたい。

ペンネーム:ひじり

失敗や回り道の多い人生爆進中。
見た目とか性とか仕事とか恋とか愛とか。