摂食障害を克服して、約1年。
私はこの経験を「消したい過去」から、「自分の強み」に変える決心をした。

この病気に苦しんでいる、一人でも多くの人の心を救うことができたら、と強く思いながら、投稿する。

私が摂食障害を発症したきっかけ。

私が摂食障害を発症したのは、6年前。高校二年生の時だった。
きっかけは、とても些細なことだった。

中高6年間剣道部に所属していた私は、平日はほぼ毎日かなりハードな練習で、休日も試合や遠征が多く、まさに部活漬けの学生だった。

しかし、高校二年生にもなると、進路決定もそろそろ。
勉強との両立が難しくなってきて、いわゆる「同期」がどんどん退部していった。残された私は、任命されるがままに部長になった。

中高男女一貫校だったため、後輩には私よりも剣道経験が5~6年長い、ガタイのいい男子部員もたくさんいた。

部長になってからは、顧問にも、今までよりもさらに強いプレッシャーを与えられるようになった。
「誰よりも強くなくてはいけない」
「結果を出さなくてはいけない」
「部長らしくいなくてはいけない」

その要求に対して、完璧に応えられない自分が、とても情けなかった。
毎日毎日、怒られてばかりだった。

そんなとき、目が向いたのが「ダイエット」だった。

ダイエットは、努力の結果が他人にも、自分にも目に見えてわかる。

剣道は、どれだけ素振りしても、どれだけ筋トレをしても。どれだけ稽古を重ねても、すぐに経験年数を埋めることもできなければ、ガタイの差も埋められないけれど、これなら「自分の努力」を誰かに認められる、と思った。

当時、161㎝の54㎏。いわゆる健康体重である。
それから3か月くらいで、約40㎏まで体重を落とした。

その時の生活は、朝は豆乳だけ、昼もお弁当のおかずのみ、夕方にハードな練習をこなし、夜はサラダチキンとキャベツのみで、その後は筋トレとウォーキング。

こんな生活を、本気で続けていた。

当時の私は、完全に何かに「取り憑かれていた」だろう。

毎日体重を測り、1gでも増えていた時は、人生に絶望した。
生理が止まっても、食欲がおさまって嬉しい、とすら思った。
背骨は浮き出て、全身によくわからない痣がたくさんできた。
気付けば、体脂肪率は7%を切っていた。
友達からの目が、変わっていった。

もっともっとできる。
もっともっと、がんばれる。
そんな思いで、死んだように、生きていた。
あの時の感情を、私は一度も忘れたことはない。

大学進学した先で待ち受けていた2つ目の試練

私はそのまま高校を卒業し、大学に進学した。
自分のことを知る人はほとんどいない、そんな環境でのリスタート。

しかしここで、私に二つ目の試練が訪れた。
拒食症を発症した人に、起こることの多い、過食症だった。

とにかく、一度スイッチが入ってしまうと自分では止められない。
これまで我慢してきた食べ物を全て取り返すかのように、泣きながら食べた。全然おいしくないのに、心の隙間を埋めるみたいに、食べまくった。

当時、大学の友人から発された、
「お前太った?」の言葉は、私の心臓をナイフで何度もめった刺しにするような一言だった。今すぐここで死んでしまいたい、とすら思った。

それからも、私は拒食と過食を繰り返した。

拒食と過食から私を救ってくれた友人の言葉

しかしそんな私に、変わるきっかけをくれた友人の言葉があった。

「あなたが10キロ痩せても、10キロ太っても、周囲は何も変わらないよ。変わるのは、自分に対する自分の気持ちだけじゃない?ただ、わたしはあなたの身体を、心から心配してる」

その時、私の中でなにかが、すとんと落ちた。
涙があふれた。

その日から私は、体重計に乗るのをやめた。

少しずつ、「数字」だけにとらわれない自分が生まれては、またすこし消えて、また生まれてを繰り返して。ようやくここまできた。

去年の夏、高校の友人とおなかいっぱい焼肉を食べて、そのあと公園でアイスを食べながら爆笑したあの日、私は心から、「幸せ」を感じるとともに、
「ここまで長かったな」と終戦宣言をした。

拒食と過食を乗り越えた今の私が伝えたいこと

この6年で、一番変わったことは、何だろう。

私にとっての一番の変化は、
「見た目」の基準を、他人の評価軸におかなくなったことだった。

だから、「今」のわたしにとって、ダイエットは、
自分をもっともっと好きになるため、の一つの手段でしかない。

そこに他人からの評価は介在しない。

今、6年前のやせ細った私に会えたら、言ってあげたい。

「私、あのころから8キロくらい増えたけど、今とっても幸せだよ。大丈夫、いつか思いっきり笑える日が必ず来るよ」と。