●番外編 ミスター慶應SFCに出場 篠原かをりさん

――ツイッターでは「7年前の私には到底ミスコンにでる勇気はありませんでした」と発信されていました。篠原さん的にはこの7年で何がかわりましたか。

7年前は容姿に対してのコンプレックスがとても強かったんです。

「勘違いブス」という言葉を、私は心に刻んでいた。容姿がよくうまれなかった、ブスとして、勘違いせずに目立たずに生きていくことで、被害を受けるのを避けようと思っていたんです。

でも、今思うとそれは違うなって。自分に対して、かっこいいとか、かわいいとか自信がなくても、自分がふるまいたいようにふるまっていいんだって思うようになりました。自分が「わきまえなきゃ」って思って、そう振る舞うから、攻撃してくる人たちは「自分の行動が正しい」と思って、より悪化する。私はより傷つく。

そのたびに、解決策として「容姿はたりないから、別の場所で戦うんだ。倒してやるんだ」と戦い続けてきました。だけど、そもそも相手の言ってることが正しいのか?容姿じゃなく、財力とか知力とか……それらで相手を殴ることが正しいのかっていう、根本に気づいたんですよ。嫌な事を言われて、我慢してきたことを一つずつ考えていくと、相手の言ってることは論理的じゃなかったなと気づけるようになりました。

「かっこいい」「かわいい」の幅を広げたい

――容姿にコンプレックスを持っているのに、容姿を競いあう「コンテスト」に参加されたのはなぜですか?

今回のミスキャンパスのテーマは「かわいいだけじゃない、かっこいいだけじゃない」なんです。目が大きい、顔が小さい、痩せている……一般的な「かわいい」「かっこいい」にとらわれない。もちろん、一般的なかわいさは否定されるべきものじゃないけど、何を「かわいい」と評価するかは、自分の意志次第。それは性別も一緒。私は自分のことを女性とも男性とも思っていない。

――篠原さんはツイッターで「かっこいいとか可愛いとか今まで狭かった言葉の解釈を限りなく広げて自分の思う自分の魅力で勝負することを恐れない人が1人でも増えればいいと思います」と発信し、多くの共感の声が寄せられていました。篠原さんの思う「かっこいい」「可愛い」とはなんでしょう?

あきらめの悪さですかね。人によってはださいと思うかもしれないし、それでもいいと思っています。容姿にコンプレックスを持っていた、と弱みを見せることもその一つなのかもしれない。まだ乗り越えられてはいないけど、開示できることはできるようになった。何も武器がないので、肉弾戦でいきたいですね(笑)。

篠原かをりさん
本人のツイッターより

容姿に自信があるという特技も否定してはいけない

――上智大学では今年から「ミスコン」を廃止しました。ルッキズムの観点からミスコンを廃止すべき、という意見もありますが、篠原さんはどう思いますか?

きれいな人にはきれいな人の苦しみがあると思うんですよ。極端な容姿のひとは、勝手にレッテルを貼られたり、いやなこともあると思う。

容姿に自信があるということも、勉強ができる、運動が出来るとか、特技の一つだと思うんです。多様性を求めるなら、容姿に自信があるという特技も否定してはいけない気がします。まあ、何をもって美しいとするかは難しいですけど。ただ、なぜ容姿よりも知性を重視するのかはわからないです。それぞれの魅力だから。

ひとつの判断基準で、ひとつのことを評価する方がシンプルでいいのかなと思います。例えば、大学受験の場合は、教科書で学んだことをどれだけ解けるか、ですよね。創造性とかひらめきとかは判断されない。

ミスコンも、すごく性格がわるくても、すごく美しければそれでもいいのかなって思うんです。性格のよしあしも誰が受け止めるかにもよりますしね。

容姿が判断基準ではなくなる、ということは、私個人にとってはありがたい風潮であっても、それで割を食っている人もいるのかもしれない、という視点は忘れないようにしたいです。そっちは迫害してもいいのかっていう。容姿で人を判断しないという思想は大事だけど、あくまで、容姿でマイナスに判断されないというだけで、容姿を磨いてきたひとの努力を評価しないのはどうなのかなという思いもあります。

ルッキズム(容姿至上主義)っていうのは、きれいな人の能力を否定するものではなくて、美しくないことで損をしないということなのかなあと思っています。