「ミスコンに応募した」と言うと「え?なんで?」という反応を周りから受けた。
ルッキズムを常々否定している人が何故、見た目で人が評価される場に自ら踏み込んだのか?と思われたのだろう。きっとそう思ってた人も多いと思うので、今回はこの場を借りて私がミスコンに出場した理由を書いておきたいと思う。

そもそも、私は見た目に限らず、肩書きや経歴等で判断されるのが嫌な人だった。帰国子女・海外大卒などといった私の経歴で、きっとこういう人間だろうと思われることに始まり、全身ユニクロコーデでパリピと言われること(軟骨ピアス?アメリカ帰りだから? パリピ認定の基準はなんだ | かがみよかがみ)、そして自分が好きでやったけれどやっぱりこれも見た目で判断されるのではないかと思ったバリカンアート(ついに踏み切れたバリカンアート。自分の気持ちに正直になれたから)…。

とにもかくにも私の見た目やタイトルではなくて、中身を見て欲しい!というところからルッキズム否定派となったという経緯がある。

自分には無縁だと思っていた「ミスコン」に応募してみた

4月の私は、外出自粛で暇を極めていた。普段なら完全にスルーしているインスタグラムの広告をこまめにチェックするほどに。そして、その広告の中に“ミスコンの募集”を呼びかけるものが含まれていたのだ。

これまで、ミスコンと呼ばれるものは私とは無縁なものだと思っていた。
ミスコンとは、アナウンサーになりたい人やモデルをやっている人が応募するものだと思っていたというのあるし、容姿で人の優劣をつけるコンテストというイメージが強かったというのが大きい。

それでも興味本位が勝ち(時間が有り余るほどあったというのも後押して)、私は初めてミスコンというものに応募してみることにした。

私が「ミスコン」に応募してみようと思った3つの理由

応募を決めた主な理由は3つ。
1つは、ミスコンの全てが“女性の美”のみを競うのものではないということを知ったから。調べてみると、もちろん美を競うミスコンもあるが、容姿以外の要素に重点を置いているミスコンも多くあった。美のみを競うのは嫌だけど、内面なども入れた、人として丸ごとが評価対象に入るのは面白いと思った。
実際に私が受けた面接では「あなたにとって母とは?」について自由に話すという課題が与えられた。このお題については、“母なる地球”という壮大なトピックから“理想の母”などといった身近なことまで自由に連想していいということで、必ずしも美と結び付けられるお題ではなかった。
また、最終選考では英語でのスピーチ・質疑応答もあるということで、知的さも選考項目にあることがわかった。

2つ目は、単純にミスコンという世界に足を突っ込んでみたいと思ったから。私は普段から新しいところに出向いたり、初めましての人に会ったり、知らない世界に飛び込むのも大好きだ。だからこれまで無縁だったミスコンという世界に足を入れたら、どんな新しい世界が見れるのか、どんな人に出会えるのかを見てみたくなった(そういえば、私が今の会社で働いているのも同じような理由だったなと今書いていて思う)。

3つ目の理由としては、様々な種類のミスコンが開催されるほど、ミスコンに需要がある理由は何なのかが気になったから。ミスコンに出場すると何かが変わるのだろうか、見える世界が変わるのだろうかと思ったからだった。

やっぱり…私の評価は、他人じゃなくて自分で決める!

書類選考と面接を得て、私はセミファイナリストまで進ませていただいたが、Web投票の結果、ファイナリストになることができなかった。
そして、セミファイナリストになっても、私は何も変わらなかった。

他の人が何故あんなに真剣にファイナリストを目指すのかも、ミスコンに需要がある理由も分からなかった。強いていうならば、ファイナリストになれればメディアへ取り上げられることもでてくるので、何か世の中に広めたいことがある人にとってはミスコンは良い発信の場になる可能性があるのだなということが分かった。

ちなみに私は、ファイナリストになるだけの要素が揃っていなかったという評価を受けたわけだが、それで私は特に落ち込むことはなかった。やっぱり自分の評価は自分が決めるんだなと思う。だからどうか、自分の見た目を評価してもらうためにミスコンに応募し続けている人がいるのであれば、ぜひ他人の評価に頼るのはやめて欲しい。ミスコンへの応募がプラスになるどころからマイナスの影響を与える可能性があるならば、応募しないで欲しい。

ミスコンに応募しても特に変わらなかった私だが、1つだけ分かったことがあるとしたら「なんかよく分からないけど、Karenがやっていることならサポートするよ」と言って無条件に応援してくれる人が私の周りにはたくさんいるということだった(Web投票に協力してくれた友達には改めてありがとう)。

きっと私は、これからもちょっと変わった選択をし続けるだろうし、唐突に何か始めることもあるような気がする。でもどうか見放さずに、応援してくれたら嬉しいなぁ。
そして私も、友達が取り組んでいることには、全力でサポートできる人間でありたいなぁ。