【今回読んだエッセイ】

「すみません、ちょっとサイズが合わなかったみたいで~」
サイズ表記は「F」。フリーサイズだ。(中略)つまり服のサイズが合わなかったんじゃなくて、私の体が服のサイズに合わなかったということだ。その事実を突きつけられるたび、私はひどく落ち込んでしまう。あの可愛い洋服の想定している体型から、私は外れているのだ。「フリー」の範疇にすら入れなかったのだ。

「フリーサイズ」という暴力と、「ふつう」について

少し前、日本のアパレルアイテムのサイズ展開の狭さについて、Twitterやブログを通してたくさんの人と意見をやりとりした。Twitterで #マイサイズをフレンドリーにというハッシュタグを作ってみると、同じような意見を持った人たちが日本中に沢山いることがわかったのだ。

<コロナ禍の今、無くなっていくアパレルブランドもある中で、サイズ展開についてのムーブメントを起こすのは、ちょっとタイミングが良くないかもしれない。
でも、今だからこそ、社会のあり方と自分について一旦立ち止まって考えてみることはできると思う。

今回のエッセイ「『フリーサイズ』という暴力と、『ふつう』について」にもあるように、フリーサイズを意味するFサイズ表記で洋服を販売しているお店がある。でもそれは、私にとっては『不自由サイズ』もしくは『不親切サイズ』だ。エッセイ内にもあるように、お店によって・服によって、Fサイズの基準は全く異なるし、私の体も『フリー(自由)』の規格外なのだ。一体誰のためのフリーなのだろう。

問題なのは体のサイズではなく、社会なのかもしれない

30歳の時、初めての海外旅行でヨーロッパに行った。アパレルショップに入った時、それはそれは感動した。私の着れるサイズの服が当たり前に店頭で売られていて、試着でき、選びたい放題だったのだ。

日本ではネット通販の画面と睨めっこしてレビューコメントにかじり付きながら、運試しのように買っていた素敵な服や下着や水着。だけどヨーロッパでは、目の前の三次元の世界に存在している。デザインはもちろん、素材の肌触りや生地の厚み、シワのつきやすさも手に触れて選びとることが出来た。

試着室の中で、ワクワクしながら次から次へと色んな洋服に着替えた。鏡の中の私は嬉しそうだった。私の体と心を優しく包むものが、そこにはあった。こんなところで育っていたら、私は摂食障害になるほど自分の体を否定し、追い詰めなかったのかもしれないと感じた。

不自由なのは自分の体では無く、社会の方だったと改めて思ったのだ。

アパレルサイズの多様性は、まだまだ理想から程遠い

日本で既製品のサイズ幅が狭いのは、実はたいていの場合、利益率や在庫問題など会社側の販売都合によるものが大きかったりする。アパレルショップはきっと「Fサイズ」というワンサイズで販売すれば、生産や在庫リスクを軽減できるのかもしれない。でも、素敵だなと思った服のサイズ表記がFサイズだった場合、私はFサイズという概念を発明した人の枕にドリアンを仕込みたいぐらいガッカリする。そして耳元で「うらめしや。あの服、全然フリーじゃないですよ、うらめしや」と、何度も囁いて知らしめたい気持ちでいっぱいになる。

2020年のいま、日本では『多様性』という何でも受け入れてくれるような言葉だけが先走りして、私たちの体を直接包むアパレルサイズの多様性は、まだまだ理想から程遠いのだ。

人間が布一枚に傷つけられるなんて、おかしな話

そんな社会でも、できることはある。例えば自分の体よりサイズの小さい服に出会ったときは、「自分の体があと5cm細かったら良いのに」と思って感傷的になるよりも、「服の生地があと5cm大きかったら良いのに」と思うようにすると、自尊心へのダメージが少し減る。魔法のように服の生地が「お任せください」と5cm伸びることは無いけど、きっとあなたの心は守られる。人間が布一枚に傷つけられたり苦しめられたりするなんて、おかしな話なのだ。

ネット通販でも『自宅で試着』などのキーワードを掲げ、返品送料無料やコンビニから気軽に返品しやすいシステムになるところも増えてきたので、そういったサービスを活用したり、アパレル会社にサイズ展開の要望意見のメールを送るのも1つの方法だと思う。
最近でも大手下着ブランドがサイズ展開に関する要望アンケートをとっていたし、私もモデルとしてアパレル会社の方達と接する中で、お客様からのご意見をかなり参考にしているのが分かるからだ。

「ふつう」に収まり受け入れられるための『被害者にならない努力』だけじゃなく、「ふつう」の枠を優しく溶かす『加害者にならない努力』をできるような、そういう大人が増えたら きっともっと優しい世界になるはず。

投稿者の秕さんもエッセイで綴っているように、変わって欲しいという声を上げることや、このテーマについて身近な人たちと話し合うことは、より多様な人たちが心身ともに生きやすい「きっともっとやさしい世界」に繋がると思う。

既製品アイテムのサイズになるよう自分が痩せたり、リメイクなどで工夫する人ももちろんいると思うし、それを否定するつもりじゃない。ただそれを、他人にまで押し付けるのは良くないことだと思う。私はあなたじゃないし、あなたは私じゃないのだ。

私のようなプラスサイズモデルに対して、痩せているモデルを否定するのかという意見を持つ人もいる。でも私はSサイズの服は着れないし、Sサイズを着るモデルさんがXLサイズの服を着たら大きすぎると思う。それぞれにフィットする洋服があり、それを必要としている人がいる。

自分の心身にフィットする服は、とても心地良いし、自分を伸びやかにしてくれる魔法のようなものだ。服を選ぶ時、サイズはもちろんだけれど、自分の心にフィットしているものかどうか感じるのも大事なことだと思う。

日本でも、心とからだにフィットする服を選べる社会にしていきませんか?

◆読んだひと  吉野なお(Nao)

プラスサイズモデル。2013年よりLサイズ女性向けファッション誌『ラファーファ』(文友舎)を中心にキャリアをスタート。
モデルになる以前に悩んでいた体型や摂食障害の経験をもとに講演やワークショップ、
コラム執筆なども行うボディポジティブのアクティビストでもある。
Netflixで映画やドキュメンタリーを観るのが好き。

HP: https://www.naoyoshino.com/