アパレルショップが怖い。正確に言うと、アパレルショップの店員さんに話しかけられるのが怖い。

冷静に考えれば、向こうも仕事だから、客である私に話しかけてきているだけなのだ。私が意識しているほど、店員さんたちは私を気にしていないだろう。
それなのに、私はどうしても身構えてしまう。好みの服を見つけても、話しかけられそうな気配を察知すればそそくさと店から出る。もしも話しかけられてしまったら、これ以上会話をしなくていいようにニッコリ笑って「ありがとうございます~」と受け流す。そして、恥ずかしさで顔を少し火照らせながらその場を立ち去るのだ。だから私の服は通販で買ったものばかりである。なぜなのか。私なりに考えてみた。

アパレルショップで働く人々はオシャレである。ブランドの服を最新のスタイルで着こなし、流行りのメイクやヘアスタイルは小さな顔にとてもよく似合っている。しかも、もれなく細い。つまり、とても可愛い。きれいだ。モテそう。さらに、彼女たちは優しい。私のようなファッションセンスのかけらもない人間にも、等しく笑顔で話しかけてくれる上に、丁寧に服のアドバイスまでしてくれる。彼女たちは、私よりも、「上」の存在だ。

「上」に見られなきゃ

そんな「上」の存在たちに話しかけられると、私は薄っぺらい笑顔を張り付けて「ありがとうございます~」なんて言ってしまうのだ。だって、焦ってしまうから。自分が「下」だと彼女たちにバレないように、少しでも「上」に見られるように、自分を精一杯飾り付けなくてはいけないから。

私はおしゃれで、洗練された、「上」の人間ではないのだ。太っていて、どんくさい、「下」の人間だ。そのことに、ずっと強いコンプレックスを抱いている。

中学生になったとき、私はまだ他の子より子どもだった。友達みんなと仲良くするものだと思っていたし、陰口を叩くなんていけないことだと自分を戒めていた。それなのに、私が立ちたい日の当たる場所には、悪口ばかり言うけれどおしゃれで可愛くてモテる子が立っていた。誰かがその子たちを「陽キャ」と呼んだ。対して、私の友達は「陰キャ」と呼ばれた。そのときはじめて、私はヒエラルキーの存在に気が付いたのだった。そして私はその枠組みの中に取り込まれてしまった。

クラスの中で、自分の立ち位置はどこか。誰かとグループになっていないと、平凡な私は「下」に落ちてしまう。「上」の子たちと話していた方が、自分も「上」になれるのではないか?そんな風にクラスメイトをヒエラルキーの駒としか見られず、自分の立ち位置を上げるために様々な努力を重ねた。流行りの筆箱を持ってみたり、体操服のズボンを腰の位置で履いてみたり、「上」の子たちに積極的に話しかけたり。高校生になると、SNSでキラキラした自分を発信しようと躍起になって、いいねの数を数えていた。それでも私は、「上」になれなかった。

ヒエラルキーから抜け出したい、抜け出せない

そんな自分が嫌で、そんなカーストが嫌で、私は大学進学を機に上京した。変われるはずだった。「上」の人間に。大学という新しい環境なら、私でも「上」になれるだろう。初めから間違えなければ…。私は結局、ヒエラルキーに取り込まれたままだったのだ。

私が今通っているのは女子大で、色々なバックグラウンドや嗜好を持つ女子たちがいる。特に、いわゆるオタクと呼ばれる子はたくさんいる。高校までは、オタクというと「下」のカーストの子たちを指していたが、実際にはオタクの中にも様々なタイプがいて、それぞれに好きなものがあった。仲良くなった子たちはみんな、自分の好きなものにストイックで、まぶしい。私とは全く異なる視点を持つ彼女たちと話すことで、自分の世界も広がったように感じた。ガチガチにヒエラルキーに取り込まれていた私は、そのような考えがいかに無駄なことかを学んだ。「上」も「下」もなかったのだ。初めから。

それを分かっていても、身に付いた考え方というものはなかなか抜けない。私は未だに初対面の人を、自分より上か下かでカテゴライズし、勝手に安心したり緊張したりしている。目の前の人の本質を知る前に、諦めている。

なりたい私はこれでいいんだっけ?

確かに、カテゴライズは楽だ。相手の見た目や話し方で、向き合い方を決めればいい。わざわざ相手の本質を知ろうとするなんて、とてもしんどい。

最近、就活を始めて、自分のありたい姿を考えるようになった。私は凛として、強い女性でありたい。もうそろそろ、子供じみたカーストからは抜け出さなくちゃ。

ペンネーム:カンダ

都内の女子大に通うハタチ。現在就活中。好きな作家は森見登美彦、好きなお茶は綾鷹。