わたしと戦争。
思えば、わたしにとって“戦争”は身近にあったように思う。私の母のおばあちゃん、つまり私の大好きなおおばあちゃんが“戦争を生き抜いた女”だからだ。とても強くて優しいおおばあちゃんだ。
大正生まれのおおばあちゃんは、何度も何度も同じ話をする。それでも私は楽しくて何度も何度も同じ話を聴いていた。子供の頃の話、お嫁に来たときの話、子供が産まれた時の話。たくさんの話をしてくれた。その全ての話に当たり前のように“戦争”という言葉がくっついていた。
“国同士の戦争”だとしても、子供の命が奪われた事が許せないのだ
おおばあちゃんの家の縁側から長閑な緑の風景を眺めながら戦争の話を聞くと、昔この場所に爆弾が落とされたり、戦争が存在していたとは思えなかった。ただ、私は子供ながらに大切な話だからしっかり聴かなければと思っていた。
おおばあちゃんの話で1番印象に残っている話は、家に外国人の親子が住み込みでお手伝いに来ていたという話だ。子供は拙い日本語で一生懸命おおばあちゃんと喋り、すぐに自分の母の所へ駆け寄り楽しそうにその話を外国の言葉で伝えるそうだ。その姿がすごく可愛かったと。戦争が終わり、その子が自分の国へ帰るときはとても寂しくて悲しかったそうだ。
ただ、話には続きがある。その子たちが乗った船に爆弾が落とされたというのだ。その話が本当の話かどうかはわからない。私も大人になってからインターネットで調べてみたが、その事件についての情報は一切載っていない。もしかしたら、おおばあちゃんの記憶が違うのかもしれない。
ただ、その話をする時のおおばあちゃんの悲しみと怒りの表情が忘れられない。
たとえ、自分の国がその船に爆弾を落としたとしても、他の国が爆弾を落としたとしても、おおばあちゃんは許さないと思う。“国同士の戦争”だとしても、可愛かったあの子の命が爆弾によって奪われた事が許せないのだと思う。もう一度、おおばあちゃんにあの子を会わせてあげたかった。そしたら、どんなに喜んでくれただろうか。
“戦争は誰にとっても嬉しくないこと”
ある日、テレビから海外の戦争の話が聴こえてきた。子供の私は単純な疑問が湧いてきた。「ねぇ、どちらが悪者なの?どちらを応援すればいいの?」当時見ていたアニメには“正義”と“悪”がいたからだ。そして必ず“正義”が勝つ。
大人はみんな黙った。なぜ黙るのか分からなかった。今となってはなぜ大人が黙ったのかが分かる。「正解がワカラナイ」からだ。
この時、私は言ってはいけない事を言ってしまったと気まずい気持ちになった。そして、おおばあちゃんがいつも話してくれる話と繋がって1つ分かった事があった。
“戦争は誰にとっても嬉しくないこと”。
おおばあちゃん、戦争の事を伝えてくれてありがとう
そんな、おおばあちゃんが、数年前に亡くなった。最期まで強く明るく生きぬいた。私にも息子が産まれて初めてのお盆、おおばあちゃんの事を思い出しながらふと思った。“戦争の話を息子に伝えなければいけない”。見た事がない、体験もしてない、しかしとても大切な事だから伝えていかなくてはならないと。
おおばあちゃんが繰り返し同じ話をしていたのは、私にも戦争の話を「伝えたい」と思ったからなのではないだろうか。おおばあちゃんが亡くなった今、事実は分からないがそう思う。
おおばあちゃん、戦争の事を伝えてくれてありがとう。今は1つ時代が進み、令和の時代になったよ。今、日本では戦争はないよ。ただ、世界では人が人の命を奪う戦いが起きているよ。おおばあちゃんの言う通り、どこの国の人でも大切な命が奪われることは“誰にとっても嬉しくないこと”だよね。私もおおばあちゃんのように息子に伝えていくね。
“わたしと戦争”は決して身近なものであってはいけないが、身近なものとしてこれからも考えていかなければいけないと私は思う。