毎年8月になると、祖父は少し怖くなる。
祖父は、8月になると戦争番組を見て、自分の戦争への想いや体験を話し出すからだ。
私は、その話を幼い頃から黙って聞いていた。当時の私にとっては、祖父の戦争体験話は怖いものだったので、嫌だなぁと思っていた。同時に祖父の顔は、どこかいつもの祖父とは違って、強張っていたため、より怖く感じたのだ。
だから、誰も茶化すことなく、黙って祖父の話を聞いていた。
時折、誰かが質問をすると深く話してくれた。
感情的になることもあり、声も徐々に大きくなっていくこともあった。
その度に私は、戦争というのは75年経った今も、人の心に残り、辛い思いをさせてしまうものなのだと実感した。
私は生きることは経験していても、死を意識した経験がない
生と死。
この二つを意識して、私達は生きたことはあるだろうか。
私は生きることは経験していても、死を意識した経験がない。
車に轢かれそうになったときは一瞬、ヒヤッとしたが…。
祖父は、低空飛行でやってきたアメリカ兵士と目があったそうだ。
当時、祖父はまだ小学生。
祖父の兄と一緒に山にいた。
パタパタパタと飛行機の操縦音が聞こえてきて上を見ると、アメリカ空軍兵士と目があった、それもハッキリと。
そのとき祖父は、アメリカ人兵士が手に持っていたものを見て、頭を瞬時に地面に下げた。
なぜなら、彼が持っていたのは銃だったからだ。
その瞬間、兄も同じように気づき、地面に頭をつけた。
そのときだった。
祖父たちの後ろにあった木に向かい、銃弾が一直線に飛び出し、命中。
低空飛行のまま、どこかへアメリカ人兵士は消えた。
自分は、生きているのか?
死んだのか?
生きるか死ぬか…戦争中に祖父が経験した緊迫の30秒
恐る恐る振り返ると、銃弾が木に命中していた。
少し焦げ臭いが漂う。
そのとき、祖父は「生きてたんだ!」と叫んだそうだ。
これは、おそらく30秒ほどの出来事だ。
祖父は、わずか30秒の間に、生と死の経験をしたのだ。
私はこの時、自分の運命も30秒という間に決まったのだと感じた。
もし、銃弾が木に命中してたのではなく、祖父の頭に命中していたら?
おそらく即死していただろう。
そして、祖母と出会うことなく、一生を終えただろう。
当然、私の母は生まれてこなかった。そして、私も祖父の孫として生まれてこなかったはずだ。
30秒間。
これは祖父の人生の中で最も長く感じた時間。
「もうあの時のような経験はしたくない」と、いつも最後に言うのだ。
「日本に戦争を持ち込ませない」。これが、私と祖父の約束
誰が戦争を始めようと言ったのだ?
誰が戦争をしたいと言ったのか?
誰が戦争をしたくない人に非国民と言い始めたのか?
どこから歯車が狂い始めたのか?
戦争は、気づいたら始まっている。
始まっていても、自分の日常に危険が迫らない限り、どこか遠くの国の話で終わってしまう。
しかし、あるとき気づくはずだ。
何かがおかしい。
もう、気づいたときには手遅れ。
私は、今年の夏、また祖父の話を聞くだろう。
そして、日本に戦争を持ち込ませない。
そんな、思いを抱きながら生きていきたい。
まだ小娘ではあるが、これは私と祖父の約束。
今年も戦争について話そう、祖父と。