「戦争」について多くを語らなかった祖母を、私は責められない

「戦争を経験した人は年々少なくなっているため、当時の話を聞くことができるのは、大変貴重になっています」
「戦争体験を語り継ぐことは、戦争を経験した我々世代の義務だと思います」
これらは、8月の原爆の日や終戦の日が近づくと毎年のようにニュースで聞く言葉だ。もちろんその通りだと思うし、戦争を知らない私のような世代からすると、当時の経験を聞くことができるのは貴重で、感謝すべきことだと思っている。
しかし、今も生きていらっしゃる戦争経験者の全員に、語ってもらうことを強要することはできないと思う。
私がそう思うようになったのは、祖母とのとある出来事がきっかけだ。私の祖父母は、4人のうち3人が私が子どものころに亡くなった。中でも祖父2人は私が生まれてすぐと、そして2歳の誕生日を迎える前にそれぞれ亡くなってしまったため、残念ながら一緒に過ごした記憶はない。
また、母方の祖母は私が10歳のときに亡くなった。彼女の優しい姿は今でも覚えているが、少し家が離れていたこともあり、頻繁には会いに行くことがなかった。そのため、私にとって一番記憶に残っているのが、父方の祖母だ。
父方の祖母は、2017年の12月に亡くなったが、家同士が近かったこともあり、私は子どものころから頻繁に祖母の家に通っていた。お正月やお盆などの年中行事だけでなく、夜ごはんを一緒に食べたり、本家が農家だったため、その農作業に連れていってくれたりした。
私が中学生になったとき、私たち家族は祖母と同居することになった。そして、祖母が認知症になり、2013年に老人ホームに入るまで、同じ空間で同じ時間を過ごした。祖母は明るく話し好きで、社交的な性格だった。父方の親戚には男性が多かったことから、私が生まれたときは一段と喜んでくれたそうだ。そして、特にかわいがってくれ「おばあちゃんが持っているイヤリングやネックレスは、全部あげるからね」というのが彼女のいつもの口癖だった。
そんな祖母と、一度だけ気まずい空気になったことがある。それは、私が小学校3年生のころ、夏休みの宿題で「おじいちゃんやおばあちゃんに戦争体験を聞きましょう」というものが出たことがきっかけだった。
祖父母に聞くのが難しい場合は、近所の戦争経験者でもよいとのことだったが、私は身近な存在であった祖母に聞くことにした。父と一緒に祖母の家を訪ね「宿題が出て、戦争の話を聞きたいんだけど、どんな感じだったの?」と話を切り出した。
祖母は、少し考えるようにしてから「とにかく物が少なくて、大変だったのよ」と言った。私はこの後、詳しい様子が聞けるかと思っていたが、祖母は一向に続きを話そうとしなかった。そして「もういいかな、ごめんね」と言って、別の部屋へ行ってしまった。
私がどうしていいかわからずその場にたたずんでいると、父が「お父さんもあんまりおばあちゃんの口から聞いたことがないんだ。他の親戚の人から聞いた話だと、おばあちゃん、年の離れた弟たちの子守りとかをして、大変だったみたいだよ」と教えてくれた。
そのときは「そうなんだ」としか思わなかったが、時が経つにつれて、祖母の実家が比較的大きな農家であり、また地域の広い部分を治める地主の家系でもあったことから、他の人から妬まれたこともあったということなど、様々な状況を知った。そのため、物が少ないこと、子守りが大変だったこと、そして周囲との関係などから、戦争は祖母にとってあまり語りたくないことだったのだろうと思った。
それは責められることではないと思う。そして、戦争を経験していない者が、語ってくれるよう強要することはできないだろう。
翻って今の状況を考えてみると、私も当時の祖母の気持ちがわかるような気がしている。
将来、誰かに「2020年はコロナウィルスが世界的に流行したって聞いたけど、当時はどうだったの?」と聞かれたら、自分がどこまで語れるか、また語ろうという気持ちになれるか自信がない。
この先、大切な誰かをコロナウィルスで亡くす可能性はゼロではない。もしそうなったら、コロナという言葉すら聞きたくなくなり、その経験談を語ることは難しいかもしれない。
一年で一番戦争について考える8月がやってきた。つらい経験を語る、ということは簡単にできることではない。そのことを胸に、経験談を話してくれる方への敬意も忘れずにいたい。
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