青い空。入道雲。響き重なり合うセミの声。
生ぬるいような心地良いような風。
夏が来ると私は思い出すことがある。
ずっと昔に聞いたのに、今でも忘れられない。
少女時代の祖母の話を。
亡き祖母が経験した「戦争」。小学生の私に教えてくれたこと。
今は亡き祖母は、とても器用な人だった。
料理も掃除も裁縫も洗濯も、そして書道も出来て…。
普段は優しいのに芯がしっかりしてて、私の憧れの人だった。
小学生の夏休み。学校でいつもとは違う宿題が出た。
それは「身近な人から戦争の実体験を聞くこと」
戦争は怖いものだ。
大勢の人も亡くなった。
そう聞いて育った。
でも、実のところ詳しいことは何も知らない。
夏になると毎年、防災無線で黙祷の呼びかけが流れる。
テレビで同い年くらいの子たちが、平和への誓いを読んでいる。
そのテレビ放送を観ながら「この子、しっかりしてるねー」って母親が話してたりする。
小学生の私にとって、戦争といわれて思い浮かぶのは、それくらいだ。
戦争を生き抜いた人…。
経験者…。
身近な人…。
真っ先に思いついたのは、祖母しかいなかった。
「戦争ってどんな感じだった?」私の唐突な問いかけに、少しの沈黙のあと祖母は口を開いた。
いつもと何も変わらない日だった。
何の前触れもなく起き、空からの爆撃であっという間に街並みは変わった。
辺り一帯が火の海になった。
空襲警報が鳴る中、兄弟姉妹全員で逃げた。
まだ小さい妹と手を繋ぎ、懸命に逃げた。
飛んできた火の粉で火傷した弟が「姉ちゃん、熱いよ」と泣いていた。
冷やすために、近くの川の水を探した。
ようやくたどり着いた川には、既にたくさんの人がいた。
水を求めて川の周りで倒れている人もたくさんいた。
普段は冷たい川の水は、熱湯のように熱かった。
それでも、生きていくために水をかぶった。
そう淡々と語る祖母。
祖母はこの戦争で、2人の兄弟を亡くした。
「戦争時代」を必死に生き抜こうと、戦っていた少女だった祖母
小学生だった私は、祖母の話を聞いた時、怖さと同時に信じられない思いを抱いた気がする。
戦争という出来事の意味は、わかっていた。
でも、どこか遠い世界の話にも思っていたのだろう。
しかし、この世界の出来事で、自分と同じ年齢くらいの子が命懸けで生きていた。
その重さに驚いたのだ。
私は20歳をすぎ、社会人になった。
仕事や人間関係、そして新種のウイルスなど色々なことが目まぐるしく変わる中、日々のストレスとも戦いながら必死に生きてきた。
「今年は梅雨が長かったなぁ…」「ようやく梅雨明けか…」そんなことを思いながら、ぼんやりテレビを眺めていると次の話題が映っていた。
テレビには原爆ドームが映されていた。
8月…広島、長崎に原爆投下…そして、終戦記念日だ。
きっと話を聞いた当時よりは、記憶は鮮明ではない。
それでも、蘇ってくる。
祖母の話は、私にとって大切な出来事で貴重な話だった。
今、思い返すと祖母の口からは、一言も「怖かった」という言葉が出てこなかった気がする。
そこにはただ、ただ、ひたすらに生き抜こうと戦っていた少女の姿があった…。
幼い彼女が経験した痛みは、私がどんなに想像してもたどり着くことはできないだろう。
戦争を経験した祖母や人々の「苦しみ」を忘れてはいけない…
「戦争は怖いものだ。絶対に繰り返してはいけない」と、締めくくられることの多い
戦争という出来事。
その通りだとは思う。でも、それだけでは足りない。
当たり前だと思っていた日常が突然消えてしまう恐怖。
いつもの風景が、焼け野原に一瞬で変わる凄まじさ。
大切な人達を奪われてしまう悲しみや憎しみ。
何もかも消えてしまう苦しさ。
そして、「怖い」という感情を感じる余裕すらなかった切迫した状況。
でも、どんな言葉で綴っても体験した方々の苦しみにたどり着くことは、決して出来ないだろう…。
それでも…忘れないために、私は思いを馳せるのだ。
遠い夏、少女時代の祖母の姿を。