小さな画面の向こうの世界。SNSという情報の海は、私に居場所をくれる

生きるのが苦しくなったとき、世間はもっと広いんだと認識するためにする行為がある。簡単にアクセスできる世界をぼんやりと眺めて、世界の広さを確認する。SNSはいとも簡単に、自分の欲しい情報につながることが出来る。
簡単が故に過剰に情報を摂取してしまう中で、他人の生活と自分の過去と現状を比較すると、自分を愛することが難しくなる。私はちっぽけな人間なだと突きつけられて、自分で他人の情報にアクセスしたくせに、鋭いブーメランとなって突き刺さる。世界はもっと広いんだと知るはずが、苦しくなって小さい画面をそっと閉じる。
いい加減スマホ依存から解き放たれて、デジタルデトックスをすれば心が休まるのかもしれない。だけど、必要な情報にすぐアクセス出来るのは楽しい。
ある時はキラキラしたことを擬似体験しているようで、ある時は知らなかった世界に連れて行ってくれるようで、ある時は悩みを共感してくれる人がたくさんいて救われるようで、せわしく息が苦しくなったり胸が躍ったりする。
ゆっくりと情報を探す行為を必要とするときもあるが、図書館で膨大な資料から探すよりも、簡単に理解できることはスッキリする。小さい画面の中の大きな海に溺れることは、快楽を得られる悪い薬のようなものかも。
脳内にちょっとした疑問を溜めておくことなく、疑問が生じた瞬時にスッキリするのは快感。新鮮な情報を入れることは、とてつもない刺激。
私はモヤモヤが積み重なりすぎて消えたくなったとき、そしてSNSの深い海にも少しだけ疲れてしまったとき、有名な事典サイトで自分の住んでいる市町の人口と、日本の人口と、世界から人口の多い都市を調べる。そして、自分はこの何十万人、何百万人の一人なんだと、可視化された揺るがない数字を確認することで、少しだけ安心する。世の中は広い、今いる世界はちっぽけなんだと、デジタルに表示させる文章に振り回されて、デジタルに示されている数字で安堵する。
数字を確認する行為に対して、何が面白いんだろうとパートナーに言われた。私も何が面白くてそんな行為をしているのかはわからない。
中学生が休み時間に地理の教科書を開けて「世界ってこれだけ広いんだスゲー」と、話し出すのと似ている。何も知らない子どもが、世界地図に夢を見てワクワクを抱きながら大人になる過程と少しだけ似ている。
20代になって様々な経験を通し、絶望も期待も理解できるようになり、夢と現実を折り合わせて生きることが正しい生き方なんだと刷り込まれていく。理解しているはずなのに、まだまだと自分に期待を込めたなる気持ちが諦めきれなくて、切り離す作業が苦しい。
だからこそ、SNSに居場所を求めて夢を抱く。社会が作り上げているやるべきことが目の前に来たときに、我慢をして遂行することが大人になることと言うのならば、キラキラした海に漂ったままでいたくなる。
考えても悩みのるつぼに落ちていくからこそ、人口というシンプルで簡単な数字に救われている。私は何百人に何千人に何億人に一人の人間だと自覚することで、多様性があってもいいよねと確認が出来る。そうすれば、SNSの海にも一枚のバリケードを置いて楽しめる。何億人もの情報に触れることで、自分を卑下することなく、多様性に楽しくなる。
小さい世界にいて逃げ出したい時、何億の人が漂っている海では、「同じ意見だよ」と似たような感覚を持つ人と出会い、共感をしてくれた。そして私は自己肯定できるようになった。
一概には悪いといえないSNS。のめり込みすぎるのは禁物だけど、時には漂ってみるのもいいのかもしれないね。
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