夏休みに母方の祖父母の家へ泊まりに行くのがたのしみだった。
朝早く起きて祖父の部屋の戸を叩く。「おはようさん」と迎えてくれる祖父のふとんに潜りこんで、戦争の話を聞いた、あの時間が懐かしい。
祖父のふとんに潜り込んで繰り返し聞いたのは、戦争のこと
空から降ってきた紙を大人たちが集めていたこと、「お国のために」という言葉に感じていた異常さ、祖父も戦争に行くはずだったが病気をして免れたこと、あのとき病気をしなかったら祖父も私も今ここにはいないということ、防空壕や赤紙。そして戦争は二度としてはならないということ。
毎日、これらの話をグルグルと繰り返し聞いた。私をじっと見つめながら、しかしそのまなざしはもっと遠くに投げられているようで。祖父が語る戦争は、私の胸に確実に刻まれていった。
「15年前の夏」あるいは「ちいさい頃の夏休み」と言われて思い浮かぶのは、祭りでもカブトムシでも、お泊まり会でも獅子舞に噛まれたことでもキャンプでもなくて、ふとん。祖父のふとんだ。
伝える人も、思い出したがらない人も。75年前を抱えて生きている
対照的に、祖母には、戦争の話題を振ってはいけない雰囲気があった。私はすいとんが好きだったけれど、祖母のまえではそれを言うことすらはばかられたほどだった。
共に戦争を生き抜き夫婦になったふたりでも、ひとりは語り継ごうとし、ひとりは思いだしたがらなかった。戦争はひとつのできごとではあったかもしれないが、そこにひとが生きて、死んだのだ。その時間を共有した人間たちのなかに、それぞれの戦争がながれ、そういうひとりひとりが血管のようになって現代まで戦争を生かしてきたのだと知った。
規模は異なれども、祖父のように後世に悲劇を伝えつづけようとするひとも、祖母のようにもう思いだしたくないと心にフタをしたひとも。戦争を経験したひとたちが生きることで、ここまで、戦争というできごとを生かしてきたのだ。
めいっぱいの想像力を。隣の人に優しくすることが、平和を守る第一歩
しかし、それももう限界に近づいてきている。
戦後生まれが人口の大半を占めるようになってきた。今後、その割合がより大きくなっていることは間違いないだろう。
経験していなくとも、学び、なんとか伝えようと活動をしているひとは多くいる。その志は素晴らしいと思うし、心から尊敬するし、否定するわけではない。
といくつかエクスキューズをつけたうえで言うと、戦争を経験したひとびとが日本からいなくなっていくということは、同時に、あの戦争が息絶えることをも意味していると思う。
風化させてはいけないと言っても、その時代を生きたひとは亡くなっていくのだから「あの戦争」の風化を止めることはできない。
戦争を知らない者たちだけで日本を担う日はすぐそこまできている。
これからも戦争を死んだものとしないために、重要なのは想像力だ。どんな活動がなされようと、原爆ドームが維持されようと、ひとの痛みをわかろうとしない人間がこのまま増えつづければ、悲劇は繰り返されてしまうかもしれない。
相手の気持ちをできるかぎり想像して、行動すること。
こんな小さなことからでも、大きな悲劇を防ぐことにつながる。こんな小さなことを忘れてしまうことが、大きな悲劇を引き起こす。戦争のまえに思いやりを忘れてはならない。
祖父のふとんはあたたかかった。私は、戦争も現代も、その時間を生きた祖父から学んだ。
今日まで戦争を生かしてきてくれた彼らに敬意を、これからも忘れないために、ひとりひとり、めいっぱいの想像力を。