「僕、ちょっと風邪を引いてしまったみたいです。今日は早退させていただきます、ごめんなさい」

夏の残り香が漂う9月のある日、私の同僚はそう言ってオフィスを去って行った。ちょうど1年前のことである。逃げるような足取り。顔にはいくつか汗が浮かび、どこかを見ているようでどこも見ていない瞳をよく覚えている。そしてその後、彼が再び出社することはなかった。

新しい部長は、部下の意見を聞かない「パワハラ」気質の人だった

彼は私と同じ歳で、同じタイミングで入社した。誰にでも丁寧で誠実に向き合い、穏やかな声で話す人。それが彼だった。元は同じ部署ではなかったが、彼が多くの人から好かれていることだけは知っていた。「アイツはイイやつだ」「あの子に任せておけば大丈夫」そんな言葉が彼を取り囲んでいた。

そんな彼が私のいる部署に異動になった頃、一緒にある人物も入社してきた。その人物は私たちの部署の部長として就任し、“笑う”というより“歯を見せる”ということに徹したような笑顔で「この会社を変えたい」と言った。

「この会社を変えたい」と、新たな上司がそう考えた理由は知らぬが、いくつか分かったことがある。まず1つ目に、この人物は何事も“自分のやり方”、あるいはより具体的にいえば、“自分の気に入る在り方”に環境を染められなければ、気に入らないという性分だった。

そして2つ目に、自分よりも格下であると判断を下した存在が、自分とは異なる意見を持った場合、仮にその意見が明らかな正しさを持っていたとしても、決して首を縦に振らなかった。

さらに3つ目に、想像力というものを雀の涙ほども持ち合わせていなかった。

このような人間が「この会社を変えたい」などと鼻息を荒くした場合、どうなってしまうのかは想像に容易い。悲しい話だが、このような人間は決して予想を裏切ってくれないのだ。

私の同僚ははじめ、その新たな上司のことを尊敬していると話した。「俺、あんな風になりたいよ」と話す彼の笑顔を、その上司が奪っていくとは誰が想像しただろう。まだ誰も上司の異常さ、オブラートに包まずいってしまえば、一寸の違いなくパワハラ気質であるということに、その頃は気づいていなかった。

同期の彼の心は、周囲から期待されるほど蝕まれていった…

彼に対する部長からの期待は、少しずつ少しずつ彼を蝕んでいった。“期待”と呼んでいいものなのかも分からない。「君ならできる」「みんなが期待しているよ」という言葉を絶妙なタイミングで投げ、まるで刃物をチラつかせるかのように「まだ終わってないの?」「どうするつもり?」という言葉を定期的に吐き捨てるのだった。

同僚の残業時間は日を重ねるごとに増えていった。「手伝うよ」という私の言葉も空しく「ありがとう、でも君も忙しいんだから」という優しさにも似た強がりで蓋をされてしまう。他の社員たちは「憧れの部長にどんどん近づいていくな、もっと頑張るんだぞ」と言って彼の尻を叩き、彼の努力や我慢を迷うことなく美談へと仕立て上げていった。「働かせすぎじゃありませんか? こんなのおかしいですよ」と訴えても「アイツは今が頑張り時なんだよ、そっとしておいてやってくれ」ただそれだけしか言われなかった。

同僚はある日、電気も付いていない会議室に一人、まるで電池が切れてしまったかのように立ち尽くしていた。数ヶ月前よりも少し小さくなった背中が少し震えており「どうしたの、何かあった?」と思わず声をかけた。

「少し不安になっちゃって」と彼は笑った。絞り出すような笑顔、掠れ、消え入るような声。今思えばこの時すでに、彼の中で何かが溢れ出していた。表面張力でギリギリに保っていた何かは、すでに形を為していなかった。

私は咄嗟に「あなたなら大丈夫よ」と言ってしまった。この言葉が、どれだけ彼の首を絞めてしまうのかも知らずに。彼は笑った。私はその時、彼を少しでも救えたような気持ちになっていた。馬鹿みたいな話である。そんな言葉で、彼を救えるわけがなかったのだ。なんて無責任だったのだろう。よりによって「大丈夫」だなんて。大丈夫なわけがないだろう。

「あなたなら大丈夫」と彼に言った私は「君ならできる」という言葉で彼を飼い慣らそうとした部長と同類だ。そのことに気付いた頃、彼はすでに会社を辞めていた。

「風邪を引いたみたい」と言い残し去った同僚に再会したのは、それから何ヶ月も経った後だった。「急にこんなことになってしまい、申し訳ない」と、怯えたような目をしてこちらをちらりと見た。あの日会議室で見た時と同じように、彼の身体は小さく震えていた。

もちろん、彼が会社を辞めることとなったのが、“急に”ではないことは分かっていた。少しずつ彼が蝕まれていく様子を、私は見ていたのだから。そして、何もできなかったのだから。

「僕なら大丈夫と言ってくれた時、うれしかったよ」
誠実な同僚が私についた、最初で最後の嘘だった。

無力かもしれないけど、この人だけは「守りたい」と思える人がいる

あれから時が経ち、私もその会社を辞めて独立した。あの上司は、ある意味で会社を変えていき、その後も多くの人間が去っていったという。同僚は無事、転職活動を終えた。

誰かを救えなかった記憶は、きっとこれからも私の中で息をしていくだろう。誰も救えなかった自分のことを、決して許そうとは思わない。

そもそも、誰かを救いたいという感情に救われていたのは、他でもない自分であったかのように思う。それが何より馬鹿らしく、情けないのだ。はりぼての正義感に酔いしれ、誰かの味方でいる自分にうっとりしていたんじゃないかとまで思ってしまう。「そんなことはない、本当に彼を救いたいと思っていたじゃない」という声が私のどこかから聞こえるけれど、そんな自分を信じてあげられるまでには、まだもう少し時間がかかりそうだった。

こんな私でも、懲りずに、図々しくも、この人だけは傷つけたくないのだと思う時がある。自分の無力さに気付いているにも関わらず、この人だけは守りたいと思える人がいる。

悲しみごと包んであげられますように。
まるでそう祈るかのように、私は今日もその人の名を呼ぶのだった。