先だっての8月15日の朝、インド人の友人からメッセージが届いた。
「今日は8月15日!独立記念日のお祝いをするんだ。」
インドの独立は1947年だから日本の終戦とはそれほど関係がないし、もちろん彼らにとって喜ばしい日だということは分かっていた。それでも目の前のテレビの中で涙ながらに戦争体験を語る高齢の女性の姿や、新聞の朝刊で存在感を放つ戦争の悲惨さを告げる記事が目に入ると、理不尽だと承知していながらも、今日が日本にとってどのような日であるのかをちくりと指摘したくなってしまった。
「そうなんだ!今日は日本では終戦記念日なんだ」

インド人の友にとっては嬉しい日。でも日本人の私にとっては?

終戦記念日、と和英辞典で引くと“the anniversary of the end of the war”とある。anniversary?確かに「記念日」はanniversaryではあるのだけど、何となくお祝い式典のような印象を受ける英訳だ。日本語の「終戦記念日」という漢字五文字の持つ静かで重い雰囲気というものが感じられないような気がした。もっとも、そんなものだって今までの8月15日のイメージから、私が勝手に作っているものだけなのかもしれない。
私の周りの人々があの戦争で直接的に犠牲になったという話は聞いたことがない。戦争は私にとって正直なところ遠い存在だ。しかし、多くの犠牲者を出し、日本は負けた。そして私は日本人だ。これだけの繋がりで私がこの日だけ「日本人」として沈痛な面持ちをして、微かな被害者意識と共に(そもそも日本人の私が被害者面をしても良いのだろうか、という疑問は感じつつも)過ごすのはやっぱりおかしなことかもしれない。そして、そのことを何も知らずに、独立記念日を祝うインド人の友人に理解してもらいたいと望むことも。それでも、本音としてはやっぱり「ちくりと指摘したく」なってしまった。

韓国人の友。どんなに深い仲を築いても、歴史に触れるのは躊躇った

夜のニュースを見れば、今度は韓国で「光復節」を祝っていた。光復節とは韓国の祝日の1つであり、日本の植民地支配からの解放を記念しているそうだ。8月15日がこのような名の祝日として韓国で祝われていることは、この時初めて知った。韓国人の同い年の友人はこの日は特に何もラインで言っていなかったから気が付かなかった。朝のインド人の友人の時とは違って、今度は申し訳ないような気持ちになり、微かな被害者意識は頭を引っ込めた。彼女も今頃、夜のニュースで国内の祭典の映像を見ているのだろうか。もし、そのとき私が昨日送ったラインを読んでいる途中だったら、どんな気持ちになっているのだろうか。私たちの関係は深く、歴史問題についても互いに勇気を持って夜中までラインで話し合ったことがある。それでも、歴史問題にこちらから触れることは簡単ではない。神社や元号の話をするのにだってやはり気を遣う。やはりそういうものなのだ。

8月15日。その日をめぐる歴史には笑顔の裏には涙が隠されている

それぞれの国がそれぞれの歴史を抱えている。8月15日を笑顔で迎える国の人々もいれば、涙で迎える国の人々もいる、いや、それでも結局は皆、涙で迎えるのではないだろうか。歴史の中の笑顔の裏には、多くの場合それまでの涙が隠されている。
ちなみに8月15日は私の大切な人の誕生日でもある。これにも涙が隠されていないわけでもないが、やはり笑顔で迎えてあげたいところだ。