私はいつも“自由”になった時、“不自由”になる。

自由になりたい。そんな事ばかり考えていた青春時代。鈍色の逃げられない重たい空が後ろから迫ってきている。いつもそんな気分だった。ただ、なぜ空が重たい鈍色なのか分からなかった。初めて「矛盾と葛藤」の感情を抱いたのは高校を卒業した時だ。

厳しい高校生活から憧れの自由な大学生活。何でもできると信じていた

大学進学率100%を約束された私立高校。私はそれを狙って進学した。校則は厳しい方だったと思う。髪を染めたりメイクをするなんて問題外、ボタンは上まできっちり締め、スカートを一回でも折ると先生に怒られていた。変な長さの指定靴下だって履いた。足が短く見えるのがすごく嫌で、ソックタッチで必死に伸ばして履いていたっけ。本当は染めてくるくる巻いた髪とつけまつげ、スカートは膝上のおしゃれな女子高生に憧れていた。

それでもどうしても大学に行きたかった。制服と社会の間の唯一の時間。好きな事を学びたい気持ちもあったが、1番は大学の“自由”に憧れたからだ。そして、晴れて私は憧れ続けた“自由”になった。嬉しい。ワクワクする。髪を染めてメイクも勉強した。夜の帳を抜けて一気に青空が広がった。狭い世界での人間関係にも囚われなくていい。自分のしたい事を思いっきりするんだ。青柳色の芝の上を裸足で思いっきり走っている気分だ。今なら何でもできる気がする。

自由を手に入れたはずなのに、動けない理由を不自由のせいにしていた

そんな気持ちも束の間、また雲行きが怪しくなってきた。好きな事をして良い。好きな事を学んで良い。誰と一緒にいても良い。自分で動けば良い。“自由”まさにその通りの状況。なのに、動けない自分。何も私を縛るものはないのに動けない。透明な葛や藤に縛られた様なまさに葛藤。怖い。“自由”が怖い。伸び伸びと自分らしくいられない自分が悔しい。

そして気づいた。私は気づかないうちに動けない自分を“不自由”のせいにしていたのだ。自分が変わらなくていい事を、“不自由”のせいにして甘えていたのだ。そもそも何が自分を“不自由”にしていたのだろうか。きっと校則なんかじゃないだろう。何もできないまま、就職。そして結婚。その度に矛盾と葛藤を繰り返した。

息子が産まれ、私も母になり、自分の命より大切な存在を知った。息子への気持ちは、親から自分への気持ちという事を知った。慌ただしい日々、自分の“自由”なんて探す時間もない。それでもなぜか幸せで。あれほど、拘っていた自分が嘘の様だ。

今ならわかる、不自由に守られながら自由になる愛おしい日々

息子が1歳を迎える頃、私は気づいた。大切な人やものがあるから“不自由”なのではないかと。失いたくないものがあるから、“不自由”なのではないかと。縛られていたのではなく、守られていたのだ。あの時“自由”が怖いと思ったのは、何もない所にポカンと放り込まれた気分になったからだ。その度にすぐに“不自由”が守ってくれる。だから、私はいつも“自由”になった時、“不自由”になるのだと気づいた。

柔らかい曙色の空に包まれた瞬間だった。家族や友人、そして愛おしい息子の笑顔が浮かんできた。

きっといつの日か息子も“不自由”を感じる事があるだろう。矛盾と葛藤を繰り返す日々が来るだろう。それが私のせいであるかもしれない。それでも、私はこの息子を愛おしむ気持ちを譲るつもりはない。この気持ちから産まれた“不自由”でずっと息子を守っていきたい。

今ならわかる。「“不自由”の中でいかに自分らしくいられるか。」生きている限り“不自由”はいつも私を守ってくれる。そんな“不自由”を愛おしむしかないのだと私は思う。