“地球”と聞くと、昔理科の教科書で見たような深い鈍色の宇宙に浮かぶ、青い球体を思い浮かべる。私たちも“地球”に乗っているはずなのに実感がなくて、ただの“宇宙に浮かぶ青い球体”のような気がしてしまう。
“わたしの暮らし”はごくごく普通なものだ。朝は夫の支度をする音で目が覚め、1歳4ヶ月の息子と一緒に、眠たい目を擦りながら仕事へ向かう夫を送り出す。昼は息子と2匹の猫に癒されて過ごし、夕方になれば夕飯の支度をする。夫と息子が寝静まった夜には、猫と遊びながら少しだけ読書をする。ごくごく普通な“暮らし”だ。
そんな私は息子が生まれる前まで、“青い球体”の為の仕事していた。クリーンなエネルギー源、いわゆる“再生可能エネルギー”を増やすお手伝いだ。
ドイツでは自然から“幸せ”を感じる人が多いのではないか
あのビールが美味しいヨーロッパの国、ドイツは再生可能エネルギーの先進国だ。なぜだろう。何が日本と違うのだろう。私は仕事の研修で訪れたドイツで数日間過ごして、1つ理由を見つけた。それは「国民が自然を愛している」という事だ。日本でも“自然が好き”な人は多くいる。ただ、ドイツでは自然から“幸せ”を感じる人が圧倒的に多いのではないかと思った。
私がドイツで聞いた話によると、ドイツでは休暇を自然の中で過ごす方が多いという。実際、山へ入ると沢山の方とすれ違う。子供から大人まで、皆とてもリフレッシュした顔。空を見上げると青竹色より少しビビットな色の葉たちが遠くに見えた。彼らに明日からのパワーを与えている様で眩しかった。
私は“自然が好きだ”と言っても、正直休暇を山や海で過ごそうとは思わない。日焼けをするし、汗もかくし...。できれば今流行のおしゃれなグランピングがいいなぁとさえ思う。涼しい場所で“自然”を見ながら美味しいご飯を食べたり、暖かい温泉に浸かりながら“自然”を見たり。それが“幸せ”だと思ってしまう。もちろん、日本でも休暇を自然の中で過ごして、“自然”から“幸せ”を感じる方は沢山いる。ステキな休暇の過ごし方だと羨ましく思う。ただ、私の友人には家族と一緒に山や海で休暇を過ごす人がいないため、私はこのドイツの休暇の過ごし方に余計に驚いたのかもしれない。
そもそも“幸せ”とはなんだろうか。仕事ではなく“わたしの暮らし”の中で“地球”に優しくするにはどうしたら良いのだろうか。そんな時、息子が産まれた。
“幸せ”が足りない。“幸せ”ってなんだろうか。
仕事を辞めて、専業主婦になり子育てに専念し始めた私は何か物足りない気持ちになっていた。子供は愛おしい。だけどなんだかモヤモヤする。そんな日々が続いてそれはイライラへと変わっていった。そしてある日気付いた。“幸せ”が足りない。
側から見たら、「子供と四六時中一緒にいて、ご飯も食べれて住む家もあって幸せじゃないわけがない。何を言っているんだ。贅沢だ」と怒られるかもしれない。
そして再び考えた。
“幸せ”ってなんだろうか。
葉の隙間からの光がパワーをくれた
そんなある日、母の提案で祖母の家の裏山で筍掘りをした。何年ぶりだろうか。10年ぶりくらいかもしれない。桑を土に入れるとフワッと懐かしい香りがする。体が思うよりも重たくなっていることに軽くショックを受けながら何とか筍を掘ることができた。
「ふぅ...」土の上に寝そべっている竹の上に腰を下ろして、母と一息つく。暖かい土の香りの春風が吹いた。そして、上を見上げると揺れる青竹色の葉たちが遠くに見えた。すると、ドイツで見たあの日の光景が見えると同時に、子供の頃の“何も持っていない私”と出会った。
「あ...私今幸せだ」
隣を見ると母が笑っている。母は気づいていたのかもしれない。葉の隙間からの光がパワーをくれる事を。穏やかになれる事を。“暮らし”が“幸せ”になる事を。私は持ちすぎていた。気づかない間に体が重くなっていた様に、気づかない間に持ちすぎていたのかもしれない。モノもキモチも。いつか着ると思って買った派手なワンピースも、周りと比べて1人で勝手に抱いてた劣等感も本当はすぐに手放したかったのかもしれない。
持ちすぎていたモノやキモチを手放すと体がふわっと軽くなった。息子にも優しくなれた。より愛おしく思えた。
確かに私は“地球”から“幸せ”をもらっている
“わたしの暮らし”はごくごく普通なものだ。でも確かに私は“地球”から“幸せ”をもらっている。無理に優しくしようなんて思わなくていいんじゃないか。葉の隙間の光から明日へのパワーを受け取る。その代わり私は「モノやキモチを持ちすぎる事をやめる」。それだけで“暮らし”が愛おしくなるのではと思う。それがあの日“地球”と約束したわたしの“地球”と仲良くなれる秘密だ。そう感じた夏の終わりの1日。