初めての生理を迎えたくらいの年頃からずっと、本当の自分のことが深く知りたかった。
18歳の時に上京して心理学専攻のある大学に入ったことで、ようやく自分のすべてを知りつくせたような気がしてうれしかったのを覚えている。けれど、ソイツは突然やってきた。
自分のことは、自分が一番よくわかっている。
そんなの、ただの幻想だったのだ。天真爛漫で元気な女の子だったわたしは、こころに悪魔を飼いはじめた。
自分の好きなことも、前向きな考え方も、すべて忘れてしまった
「パニック障害」 「双極性障害」。
大学3年生の冬、心療内科を勧めた内科の先生を疑いながら初めて踏み入れた心療内科のほこりくさい診察室で付いたわたしの病名。発作が出たり、気分の波が異常に激しくなって生活に支障をきたす精神疾患だった。
原因は、長年の夢を叶えたことだった。憧れていた世界でがむしゃらに頑張るあまり、プレッシャーとストレスに負けたのだ。
見た目には何も異常が見当たらないこの病気が、わたしの中に矛盾と葛藤を植え付けて、自由とアイデンティティを奪っていった。
いつもどおり可愛くメイクをして、おしゃれをしていてもソイツは突然暴れだす。電車で倒れたり職場で呼吸困難になって周囲を驚かせた上、テンションが異常に高い「躁状態」と、自殺未遂を起こすほどの「うつ状態」を繰り返し、わたしは完全に本来の自分とはなればなれになってしまったのだ。
アイデンティティが拡散されると、人は自己肯定感がぐぐっと下がる。
調子が毎日変わる自分の意見が、まったく信じられない。
精神状態を正常に保てている日も、薬が効いているだけと自分の頑張りを認められない。
わたしは自信だけではなく、自分の好きなことも病気になる前の物事に対する前向きな考え方も、すべて忘れてしまった。どん底だった。
思い描いた願望とは真逆の方向にこころは在った
うまく生きたい、いい人と思われたい、仕事の女優活動を意欲的に続けたい、可愛いと思われたい、面白い人でありたい。
そんな願望とは真逆の方向にこころは在って、悪魔がニタリと笑いながらそれにしがみついている。矛盾だらけでどうにかなりそうだったけれど、仕事や学校では気合を入れて笑顔2割増しでふるまったら、さらに深い沼に沈んでいくようだった。
「不安定な精神状態の、健康そうな女の子」はあまりにも不自然で、大事にしていたはずのこころは、あっさりと粉々に割れてしまった。思ったよりもたくさんの破片を、遠くへと飛ばしながら。
本当の自分は、いつも現在進行形でつくり続けられる
診断から数年が過ぎ、投薬治療と通院生活が終わった。ようやく、自分以外のことにも目を向けられるようになって分かったことがある。
そういえば、病院の待合室には「普通の人」しかいなかった。
40代の日焼けしたサラリーマン、きれいにメイクをして流行りの服を着た大学生、子供を連れた主婦。
正常のふりをしてこころとの矛盾と戦っている人たちは、世の中にたくさんいたのだ。普通に見えても、割れたこころのかけらを取り戻そうと必死に葛藤している。
でもきっと、きれいに元通りにはならないはず。
今の自分はもうすでに、つらく葛藤した日々が確実に糧になって新しい自分を形作っているからだ。
元に戻らなくても、それは悲観することではない。むしろ、ちゃんと自分と向き合って人生を生きている証拠なんだとさえ思う。
こころが壊れたことも、また人生。
必死で笑顔を見せて耐えたことも、そこで感じた葛藤も、きっと何一つ無駄なんかじゃないから。
本当の自分は、いつも現在進行形でつくり続けられる。新しい自分らしさがきっと生まれるはずだから、わたしは前向きに生きていこうと思う。