私の地元は“どちらかといえば田舎”だ。決して都会ではなく、かと言ってテレビ番組が来てくれるような田舎でもない。都会まで電車で1時間のちょうどいい街なのかもしれない。今は地元を離れ、“ちょっと都会”で生活している。

地元へ帰ると青春時代の思い出が“ぶわっ”と蘇ってくる。友達とよく待ち合わせをした公園、初めて好きな人と手を繋いで帰った通学路。親と喧嘩した時はこの真っ暗な道を歩いて、よくおばあちゃんの家へ避難しにいったなぁ。なんだか懐かしいような、くすぐったい気持ちになる。最近の言葉で言う“エモい”って感じかな。

“どちらかといえば田舎”のその場所ははっきり言ってオシャレではない。ちょっと高めのヒールを履いたり、サングラスをして歩くと物珍しいといった視線を感じる程に。中学の頃、初めて都会に遊びに行った時「世の中はこんなにオシャレな人たちばかりなのか」とショックを受けた記憶がある。

都会に憧れた20代。垢ぬけない私に、シティボーイの恋人ができた。

20代前半、私は都会に憧れた。私の地元ではよくある話だ。都会には地元に無いものが沢山ある。無いものなんて無いのではないかとさえ思う。全てが新しくて全てが洗練されていて。ただ歩くだけでワクワクする。

しかし、私は“どちらかといえば田舎”の人間であることには変わりない。友達とお酒を飲んでも終電が早いせいで、私が1番に帰らなければいけない。クラブで音にのって踊ってみても都会の女達に気後れする。勝てない。これは“どちらかといえば田舎”に住んでいるせいだ。そう思った。

どこか垢抜けない私。

そんなどこか垢抜けない私にも、お付き合いしたいと言ってくれる人が現れた。(正確にいえば私の猛アタックだけど。)その人は都会育ちのいわゆる“シティボーイ”だ。オシャレで仕事ができて女性の扱いもスマートで。私はネイルをしてエステへいって、“シティボーイ”の隣を歩く為に必死だった。私も垢抜けて“シティガール”に見られたかった。お付き合いをして暫くすると、彼から私の親へ挨拶をしたいという話が出た。

「黄昏だ…」”どちらかといえば田舎”で彼が見せた少年のような横顔

彼が私の親に会う事と私の地元へ初めて来る事でドキドキして前夜は眠れなかった。そして当日、彼が“どちらかといえば田舎”へやってきた。オシャレな彼がオシャレじゃないこの街を歩く違和感だらけの光景。私にとってのエモい横長の風景にシュッとした都会の高いビルが立っている感じ。あまりにも似合わない。

無事に親へ挨拶を終わらせて彼の家への帰り道。ホッとしながら車を走らせていた。稲穂が眩しい黄金色に輝きながら秋の風に揺れる。田園風景に、茜色の光が差してきた。
「わぁ...。黄昏だ...。」

彼がふと呟いた。隣を見ると、初めての発見をした少年のような無邪気な“シティボーイ”の横顔があった。

私にとっては当たり前の光景。何が珍しいのかと不思議な気持ちになった。彼が言う「黄昏」は私の青春時代には何度も何度も風景として存在していたからだ。ただ、これが「黄昏」ということは初耳だった。オシャレじゃない街。そこにはオシャレな街にはない発見があったようだ。

蛍も星も私にとっては”当たり前”、でも彼にとっては”特別”だった

聞けば蛍も見た事がないという。驚いた。私たちにとって蛍を見に行くことは毎年の夏の風物詩だからだ。蛍を見ないと夏が始まらないと言っても過言ではない。翌年、日が落ちてもほんのり暖かさが残る季節になった頃、蛍を見に行った。ワクワクする彼は車を降りてからの足取りが早い。すると突然空を見上げて立ち止まる彼。蛍はもう少し歩いたところにいるはずなのに。

「みて!星がたくさん...!」

なるほど、星が見えるのは特別なのか。都会の高速道路を走った時、私が煌びやかな街の光に感動しているのを彼に笑われたことを思い出した。なんだか、私はこの田園風景が誇らしく思えてきた。そして、シュッとしてかっこよく見えていた“シティボーイ”が少し可愛く思えてきた。

私の地元には、憧れた都会には無い“特別”なことがあったようだ。そんな“シティボーイ”はすっかりあの日に見た「黄昏」に心を奪われて、私の地元の隣街にマイホームを計画している。その街も“どちらかといえば田舎”だ。私はまたこのオシャレじゃない街で、今度は“特別”を感じながら生きていくことになりそうだ。