私は以前にも何度かエッセイを投稿させていただいたのだが、プロフィール欄に申し訳程度に「ラジオパーソナリティ」と記載している。
ラジオパーソナリティをするくらいなら相当陽気なおしゃべりさんなのだろうと思われるだろうが、蓋を開ければ超内気・あがり症で、人前に立つのが大の苦手な一般女性。
そんな私がひょんなことからノリと勢いでラジオパーソナリティに挑戦した経緯と、そこから考えたことを綴る。
ふとしたきっかけから軽い気持ちでラジオパーソナリティに応募
「迷ったらやってみよう」
どこかで聞いたことのあるセリフだ。スーパーポジティブ人間が言うことだと思っていた。内向的な自分には縁のない言葉だと思っていた。
未曾有のウイルスによって外出自粛を余儀なくされた時期、自分を見つめなおした人は多いと思う。一方の私は、布団に横たわりながら朝から晩までYoutubeを流し見するという、自堕落極まりない生活を送っていた。
しかしそれは、のちに私がラジオパーソナリティに挑戦する大きなきっかけとなったのだ。理由は簡単だった。当時ハマっていたYoutuberさんがかつてボランティアでラジオパーソナリティをしていたという話を聞いて、何となくおもしろそうだと思ったから。
そもそもボランティアで地域FMのラジオパーソナリティに挑戦できること自体初耳だった。何となく楽しそうな上に、自分がもともとやっていた音楽活動の宣伝にもなると思った。今思い返すと、人前で話すだけで声が震えるほど上がり症で内気な自分がよく挑戦したなと思うのだが、驚くほど軽い気持ちでラジオパーソナリティに挑戦することを決めた。
収録の出来はさんざんだった。だけど、わくわくが止まらなかった
その後、インターネット検索でヒットしたFMラジオ局に応募し、正式にラジオパーソナリティとして番組に出演することになった。しかし収録日当日、問題が発生した。ラジオ収録直前、緊張と恐怖感が一気に押し寄せ、応募当時感じていた「楽しそう」という感情が一瞬で吹き飛んでしまったのだ。
そもそも、こんな内気な自分がラジオパーソナリティに応募したこと自体間違いだったのかもしれない。応募なんてしなければよかった。できることなら今すぐ逃げ出したい…。負の感情で頭がいっぱいになり、ただただ控室で震えていた。打ち合わせの内容がほとんど頭に入ってこなかった。
収録の出来は、お世辞にも良いとは言えなかった。共演させていただいたベテランのパーソナリティさんのおかげで何とか番組は成立したが、1分間の自己紹介を40秒程度で切り上げてしまったり、放送事故ギリギリの沈黙が続いたり、さんざんな結果に終わった。
でも、収録は意外にも楽しかった。緊張のあまり収録当時の記憶の半分くらいは無くなってしまったが、ただただ楽しかったことだけは覚えている。電話ボックス二つ分くらいの小さな防音室、ジングル、タイムキープのモニター。見るもの聞くものすべてが新鮮で、新しい世界が広がった気がした。まるで、園児が動物園で初めて動物に餌やりをしたときのような興奮を覚えた。社会人になってまでこんな体験ができるなんて、思ってもいなかった。ひとことで言うなら、「やってよかった」。
結果がどうであれ、挑戦することには何かしらの意義がある
私はこの経験を踏まえて、「挑戦」することの意義を大いに思い知った。内気であがり症の私が、公共の電波に音声を載せるなんて誰がどう考えたってうまくいくはずがない。実際うまくいかなかった。それでもやってよかったと思っているのだから、きっと間違いない。結果がどうであれ、挑戦することには何かしらの意義があるのだ。
今回私がラジオパーソナリティに挑戦したのは、決してもともと挑戦的な性格だったからではない。だからきっとこの先の人生、きっと「挑戦」という選択肢を目の前に怖気づくことがあるだろう。実際、過去にもチャンスを自ら手放した経験が数えきれないほどある。
未来の自分がもしまた挑戦という機会から一歩引こうとしたら、こんな言葉をかけてあげよう。
「迷ったらやってみよう」
いや、内気な自分なら、もっと強い言葉をかけてやろう。
「つべこべ言わずに飛び込め!!楽しい未来が待っている!!」