大学3年生になり、周りの友人たちは就活のための準備を始めている。

現代の社会に、これまでのような人材は本当に必要なのだろうか

 就活といえば、ブラックスーツ、パンプス、黒い鞄、そしてメイク。近年はそれらの形式化された就活を疑問視する声もあがっている。

 私もそのひとりだ。皆が皆同じ服を着て、わざわざ歩きにくい靴を履く。そして、企業理念に自分を合わせていく。自分を殺し、ひたすら相手に認められようと必死になる。そんな生活をしていたら、自分が壊れてしまいそうだ。面接では自分の個性を押し殺し、周りといかに一緒に行動できるか、上に立つ人間の言うことをきちんと聞けるのか、といった協調性をみられる。

 しかし、現代の社会に、これまでのような人材は本当に必要なのだろうか。欧米では、自分で考える思考力をつけさせる教育が始まっており、就職する際にもいかに自分で動けるのかが問われると聞いたことがある。留学していた時、ホストファミリーが教えてくれたのだが、欧米では、就職には新卒よりもキャリアが大事だという。

カナダのボランティア活動では、マニュアルも何もなかった

 大学1年生の夏、私は1か月カナダに留学していた。目的は、動物保護センターでボランティアとして働くことだ。初日、センターに行った私は驚いた。何も指示がないのだ。それは同じ時期にインターンに来ていたカナダの学生さんにも同じだった。日本では教育がされていないと批判されそうなものだが、そこではそれが当たり前だった。

 私は初めての事態に困惑した。なぜなら、それまでアルバイト先ではやることが決められていて、しっかりとしたマニュアルもあったからだ。しかしここでは何もない。でも、突っ立っている訳にはいかないと思い、初日は職員さんに何をすればいいのか聞き回った。

 2日目以降、私は自分でやることを見つけ、率先して働いた。その結果、ボランティア先では良い評価を受け、最終日には「また来てね」「いなくなるのが寂しい」などと声をかけてもらい、とても嬉しい気持ちでいっぱいだった。そして私は自分で考えて動くことがどれだけ大切なのかを理解した。

実際に動き、日本の発展に貢献できる若者になりたい

 国際的には自分で考えて動くことを求められているなかで、通りいっぺんの就職活動をすることは、本当に現代の社会に求められているのだろうか。日本は数々の技術が世界的にも認められる先進国である。しかし、このままの就職活動を続け、同じような人間を生み出し続けることは国家を後退させるのではないか。

 今、日本は転換期にいると私は考える。旧式の、皆が皆同じことをというやり方から、自発的に思考し行動できる人を求めるべきだと思う。そして、それは私たちに求められているのだとも思う。

 形式だけの「行動力」ではなく、実際に動き、日本の発展に貢献できる若者。そういう人に、私はなりたい。