内部では周りの気の強さに圧倒されて馴染めなかった私

内部生の多くは見た目が華やかで、やることなすことが派手だった。気も強く、自分自身を主張することで、学校行事でも個性を生かして活躍する。就職先も名だたる企業に勤めていくことが多い。

一方で私は、小学生の時からとても気が弱く、周りに強く言われるとすぐ萎縮してしまっていた。学校行事で本当にやりたいことにも手を挙げられず「私にはどうせ無理だ」と思い続けていた。

小学校から高校までほぼ同じメンバーというのもやっかいなものだなと思う。一度自分についたイメージを払拭できないから。キラキラしている周りの人たちがいつも羨ましかったけれど、一度「大人しい子」と思われると、なかなか変化を起こせなかった。

大学もほとんどの人がそのまま進学するものの、今までの何十倍もの人が入ってくるので「内部生」は超少数派になる。

「ようやく解放された」と思った私は、なるべく知り合いがいないサークルを選んだり、学校外のNPOやインターンに参加したりしていた。そこでは自分の意見を人に伝えることに躊躇がなくなっていた。自分で選んだコミュニティだからか、周りの人たちと気が合うなと思うようになった。

でも、内部生から離れた環境では、違う意味で馴染めなかった。

外部では住む世界が違う人として切り離され、罪悪感が生まれる

大学生になってからの私は、とにかく内部生でいることを隠し続けた。
内部生だと言ってしまったあと、自分につけられる印象が怖かったから。

「お金持ちうらやましい!」
「受験がなかったんだ、いいなあ」

間違っていない。内部生は何不自由なく、誰もが通る道だと言われる受験勉強を経験していない。小学校の「お受験」は親が頑張っていただけ。私は当たり前のように気づいたら小学校に、気づいたら大学に進学していたけど、それって「普通じゃない」みたい。でも、受験をしない環境にいて良いこともあった。競争心もなく心の余裕があったからか、穏やかなところが長所として残っている。

「え、あの有名な大学なの?頭良いんだね!」

こう言われた時には「罪悪感」が生まれる。受験で入るには偏差値の高い大学にいることで、初対面の人たちから「頭の良いイメージ」が私についてくる。誰より圧倒的に「楽な道」を歩んだ私が、必死になって勉強した人たちとこうして向き合った時、行き場のない感情を覚えた。

時々人と話していると、一般常識を知らないことがある。人との会話のスピード感に頭が追いつかないこともある。みんなと比べて頭を使うことが少なかったからだろうか。外部の人たちと関わる時にはボロが出る怖さと向き合っている。「自分はここにいるべきではないのかもしれない」「やはり内部生は内部生同士でいるべきなのかも」と時に思うことも。

そういえば内部生のみんなは、小学生のころから自由な時間を活用して、部活動に打ち込み大学で体育会に入ったり、学校生活で得た自分の主張を就活で生かしてテレビ業界に入ったりしている。みんな「楽して生きてきた」だけの人間じゃないことを証明するかのように、次々に結果を出していった。

高校まで自分に自信がなく、特に何の取り柄もなかった私。習い事や部活動も数多くしてきたけれど、どれも中途半端にやめてしまった私。本当にただ「楽して生きてきた」だけ。

そんな状態から脱したくて、大学生になってからは価値観が合う居場所を探し求めて必死だった。確かにそれまでよりは「ありのままの自分」でいられて格段に居心地が良い。けれど、これまでの境遇やついてくるイメージからは、逃れられない。

これまで生きてきた境遇に負けず、努力して居場所をつくっていく

内部生は、仲間内で群れることが多い。
でも、私は内部生だけと仲良くなりたいわけではない。もっと幅広い価値観の人と会って刺激を受けたい。

内部生は、華やかな仕事や世間的評価の高い地位を求める人が多い。でも、私は華やかな企業や仕事につきたいわけでもないし、自分が本当にやりたいと思ったことをやりたい。

これまでの境遇は捨てられない。だからこそ、境遇からくるイメージに屈しない自分自身の芯の強さが必要だと思った。「これだから内部生は……」なんて言われないように。今向き合っていることにはがむしゃらに努力をする。そうしたら周りの人たちも、きっと境遇に左右されない評価をするだろう。

内部生コンプレックス。ある意味、人から羨ましがられたり妬まれたりすることの多い境遇だと思う。「内部生」とGoogle検索すると、続く言葉に「うざい」とか「頭悪い」と出てきて、世に発信するのは怖かった。でも、この想いはどこかに声を大にして伝えたい。

「恵まれた環境にいるんだから、そんなに頑張らなくてもいいじゃん!」
世間的には「意識が高い」と言われるコミュニティやキャリアスクールに参加する私に、内部の人たちは言う。やっと「ありのままの自分」でいられる居場所を見つけ、夢中になるものが見つかったというのに。

確かに現状、生活や仕事には困っていない。でも境遇から生まれる「らしさ」と向き合い続けるのはもうやめたかった。自分が選んだコミュニティは、私の居場所であり続けたい。今は無力で境遇からくるイメージを払拭できないけど、悔しい思いをした分、挽回できる力が私にはあるはずだ。

そう決意した私は、昔から作文が苦手だったけれど、自分の心の底にある想いを世に出したくて、初めてエッセイを投稿してみた。