私は、自分のことが嫌いだ。この世で1番私を嫌いなのは、自分だと思っている。
特に悪いことをした経歴はないが、自分が好きではなかった。私は自分を愛せなかったのだ、いいナオンと出会うまでは。
いいナオンは、普通のアイドルなら言わないであろうことを言った
私のいいナオンは、アイドルをしている。私はいわばオタクだ。彼女は、いつだって優しく謙虚で、努力家であり、誰が見てもとても可愛く綺麗で素敵な人である。
心地良い音色の声で歌い、料理だって上手に作れ、絵だって描ける。私は彼女が好きだ。好きで好きで大好きだ。生きているだけで、愛おしいという感情が沸く。しかし、彼女も自分自身を嫌いだという。
なぜ、私が彼女に惹かれてしまうのかと考えると、それはきっと江戸切子のような味わい深い人だからだと思う。私が人生のどん底を味わっていたある時「死にたいくらい絶望的だよね」と彼女と会話をした。
きっとアイドルなら「死ぬだなんて言わないでよ」「死なないでよー」「大丈夫、生きてたら良いことあるよ」と返すであろう。アイドルだけじゃなく、身近な友人や同期もそう言うであろうし、現にそう返ってきた。
やさぐれていた私は、甘ったるく温い答えじゃ満たされず、生きた心地のしない毎日が続いていた。本心できっと思っていることを皆返してくれているのだと思うが、自分がいない世界があっても皆いつも通りに生きていくような気がしていた。そして、同じ気持ちを抱いたことがないのだろうなと孤独を感じた。
誰かに媚びることなく、己の行く道を切り開く「いいナオン」
でも、彼女は違った。「死にたい時もあるよね」としんみりした声が返ってきた。背筋が凍りついた。オブラートに包んだ死への欲求を剥き出しにされ、間違えなく見透かされた気がした。続けて、最近あった嫌なことを話してきた。
アイドルですら死にたいと思う時があるのかと、世の中の刺々しさに驚いた。歌って踊って、キラキラと輝き皆に希望や勇気、元気を与えているのに、傷ついた生々しい答えでもまた私の心を救い去る。光が当たれば輝き、涙を貯めれば違った姿で魅了することができる人なのだ。
自分のことが嫌いな彼女は、“死ぬまでに自分のことを少しでも好きになれていたら”と思って生きている。世の中の綺麗で可愛らしい女性達は、自分に酔い幸せにしてくれるのは他人であると思っているであろう。聞いたことはないが、聞かなくてもSNSから滲み出ている。それは、それでいいと私は思う。
でも、いいナオンは違う。「自分のことを幸せにできるのは私だけだから」と言う。誰かに媚びることなく、己の行く道を切り開く姿は清々しい。私はいいナオンと出会うまで、自分が幸せであることを受け入れられず、私が嫌う自分が愛されていることを憎いと思っていた。自分自身の価値はマイナスだと思い、自分そっちのけで、私以外の誰かを幸せにしてあげたいばかり考え行動していた。
自分を「愛してくれている人」が傷つかぬよう、自分も幸せでいよう
いいナオンは、“大嫌いな自分を自分の手で幸せにして、死ぬまでには少しくらい許してあげたい”と考えている。その背景には、自分だけが幸せであればいいという考えではなく、自分を愛してくれている誰かが傷つかないように、自分も幸せであろうとする考え方があるのだと思う。彼女に辛いこと、悲しいことがあれば、私も辛く悲しい。それと同じように、私が悲しいループに迷い込んだら、彼女は間違いなく悲しむであろう。
私は、彼女に少しでも多く笑顔でいられる時間があって欲しいと思っている。彼女だけでなく、自分と関わる全ての人にそうであって欲しい。きっと私が楽しそうにしていたら、彼女も嬉しく思うだろう。私は彼女の為に、自分が幸せにしてあげたい皆の為に、自分も同じように大事にして楽しく生きていきたいと思えた。
自分から逃げることなく闘い続ける彼女は、いいナオンだと思う。きっと深手を負っても、味わい深く輝き続けるのであろう。もっと彼女が自分を愛せるように、私も彼女を愛し、彼女を好きな自分を大事にしてあげたい。
そして、いつか彼女が自分自身を許せる日が来ることを願いたい。