私の仕事は何だろう?って思うことが働いていて度々ある。
それは大きな括りで言うと人の役に立つことだけれど、日々行なっているこの事務的作業が役に立っているのか、一人相撲していないかとパソコンをカタカタさせながら、終業時間を待ちながら思うのである。

自分の役割を考えすぎて疲弊する日々

その思いは仕事の場だけに留まらず、人と話している時も度々訪れる。
例えば友人数人との飲み会。居酒屋の一席でお酒が進みながらも、頭の隅っこで今日の私の役割は何なんだろう?って。

女友達の新しくできた彼氏を「いいね、最高!」という係なのか、はたまた出会いがないと嘆く男友達を叱咤激励する係なのか...。
その場や人によって求められていることが違う気がして、私は大人数で集まるのが苦手だ。

役割を上手に分散させられず、勝手にあわあわしてしまう。
八方美人という言葉があるけれど、私は側から見たらそういう人間に映るのかもしれない。
そしてこの性格に自滅し、日々使う必要がない神経をすり減らし、家に帰るころには楽しかったという気持ちとそれを上回るくらいの疲労と対面するのだ。

役割を決めているのはいつも自分だ。
職場においてやらなくてはいけない仕事や任務というのはあると思う。だけど元を辿ればその仕事をできるかと言われてYESを言ったのは自分だし、その役割を与えられる職場を選んだのも自分なのだ。

やりたくなかったら断ればいいし、その場にいることさえ嫌になったら辞めるという選択もありなのだろう。
友人関係においても別に興味のない話には反応しなければいいし、合わない人とは極力関わらなければいい。そもそも私が勝手に役割と捉えているだけで、失恋話を聞いて慰めたり労わったり元カレを一緒に貶してほしい、と頼まれたわけではないのだ。

アイドルの「役割の演じ方」に学ぶ

少し話は変わるけどこの役割を見事に演じているなと、私を虜にしてやまないのがアイドル(アーティスト)である。
今回この文章を書くきっかけになっている峯岸みなみさん所属するAKB48をはじめ、私は幼少期からスピード→モーニング娘。→松浦亜弥(あやや)→AKB48→少女時代→乃木坂46といつも同年代の女性を追いかけていた。彼女たちは私にとってアイドルという役割を演じている憧れであり、またセルフプロデュースの賜物だと思う。

幼いころはかわいくて歌やダンスが上手という憧れの部分が強かったが、今ではSNSなどの発信ツールも味方し、彼女達の考え方や生き方というものがより見えやすくなってきており「素」でさえどこか演じている彼女たちに共感しているのかもしれない。
峯岸みなみ(通称みぃちゃん)は、中でもひと際グループでの立ち回りや周りをみて行動することに長けており、その場その場での役割を全うしようとしているがむしゃらさと、それでいてどこか繊細な感じが好きである。

私がここで言いたいのは「人は意識的にも無意識的にも日々何かしらの役割を背負って生きているということ」
そしてその役割に日々疲弊しているからこそ、それをエンターテインメント化しているアイドル界から活力を見出したり何かを学ぼうとしているなのではないか、と思うのだ。

存在そのものを褒められ、受け入れられたい

では私はこの自分で作り出している役割について褒めてもらいたいのか?と聞かれれば答えはNOである。
結論、本当は褒めてもらいたい可愛いところは、ずばり「私という存在」です!ということ。

与えられた役割が実行できているか否かではなく、迅速に業務を行えたとかでもなく、友達の惚気話に合いの手を入れることでもなく。
例えば職場にいればもうそれだけで尊いし、友達との飲み会に顔を出せば存在だけでありがたがられる。

誰も私に役割を求めないし、何の期待もしていない。ただ、私という存在がそこにいるだけでいい。
ブルーノマーズの歌で言わせてもらうと「Just the way you are」理論だ。
褒められるという概念は何かをした対価として与えられるものな気がしてならないのだ。
だから、私が本当に言われたい褒めてもらいたい可愛いところは、一部ではなく、
「あなたがいい」「あなたがいてくれるだけでいい」
という存在意義そのものなんです。

自分で書いていても、うわぉ、ヤバいやつ(笑)って思えてきたけれど、
役割から解放された時に、何をしなくてもいいよ、愛するよって言われることでようやく私は頑張らなくてもいいんだって思えるんじゃないかなって。

最後に1つ付け加えさせてもらうと、
結局のところそんな風に全てを受け入れてもらったとしても、
え?この人あたしに何求めてるの?!見返りは何!?本当の私を知らないからそんなことが言えるんだ!
と、素直にその言葉を受け取れる自信が今の自分にはさっぱりないこと。

他人から褒めてもらいたいという承認欲求から抜け出せた時、
人の気持ちを素直に受け取れた時、
可愛い違いだけど、可愛い自分に出会えるのかもしれないなって。
いつかその言葉を受け取る日がくる時に備えて、夢見て、しばらくはジャスティンビーバーの「Love yourself」論に努めます。