「顔だけはいいよね」に傷ついた。わたしの性的魅力以外の価値も認めて

「おまえ、顔だけはいいよね」
セックスの直後、裸のまま、男は勝ち誇ったようにわたしに言った。口元が嫌らしく歪んでいた。わたしは虚をつかれ、一瞬の間の後、ふにゃふにゃとした笑顔を返すことしかできなかった。とても酷い言葉な気がしたが、反論はしなかった。
彼の提示した世界はわたしが今まで生きてきた世界そのままだったから。
わたしは初対面の人にかわいい、美人とよく言われる。造形のよさを真正面から褒められることが多い。そのおかげもあって、正直モテる方だと思う。わたしも自分の顔は結構好きだ。見た目で苦労をしたことはない。見た目だけで損をしたことはない。
でも、見た目でジャッジをされる「女」という性は常にハンデに感じてきた。
たしかに「顔がいい」というのはアドバンテージだ。だがそれ以上に「女」であることのディスアドバンテージは大きい。わたしは見た目以外の、人間性や仕事の能力や文化的素養やセンスには大した評価がされない。どんなに努力してそれらを手に入れたところで、それらには大した配点がなされない。見た目が性的に魅力的かどうか 70点・その他 30点、ちなみに女であることは一律-40点。どこぞの医学部だろうか。いやむしろ医学部による無遠慮で理不尽な減点は世の中の減点制を率直に反映した結果なのだろう。
おまえはセックスにありつけるだけマシだろう、と言われる。こちらはセックスにすらありつけないのだから文句を言うな、と。たしかにセックスだけが人生の価値であるとすればそうだ。あなたはわたしの人生の価値のほとんどが性的要素だと言う。ほんとうにそうなのかもしれない。そう言う人はたくさんいた。そう言われ続けた人生だった。
そう言われ続けて、わたしは、自分自身が性的対象としてしかこの世に存在する意義がないような気がしてくる。
わたしは「ブス」と揶揄されながら、だからこそ才覚を評価される女が羨ましい。いやもっと言えば、公の場で「ブス」といじられる可能性すらほとんどない男性が、人格を、能力を、すっぴんで評価されるのが羨ましい。
たしかにわたしはセックスが好きだ。わたしは自分の顔が好きだ。体型の維持や容姿の美しさを保つためにそれなりの努力を重ねている。しかし、それ以上に己の能力を磨き自己を鍛錬するために要した時間と労力のほうがはるかに大きい。それらがなかったことにされてしまうにはあまりに大きい。
だからわたしは満たされない。見た目以外にも見られるべき何か、認められるべき何かがきっとあるはず、と諦めることができない。世界にはセックス以外にも輝くなにかが待っている。その希望を捨てられない。
だからわたしは男のLINEをブロックし、新しい街へ出て人に会い、本を読む。わたしの知らない世界。思いもがけないわたしの価値。わたしがここにいる意味。いや意味などなくてもいいのかもしれない。性的存在としてではないなにかとして、許される理由がほしい。
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